見出し画像

詩片#6 「与えよされば与えられん」

今日の詩片

見られたければ見るのだ
知られたければ知るのだ
聴かれたければ聴くのだ
愛されたければ愛すのだ

与えよされば与えられん

どうやら聖書には、「求めよされば与えられん」と「与えよされば与えられん」の両方の記述があるらしい。

前者は神に対して、後者は人に対してだそうだ。

何か願いをするということ、夢を追いかけるというのは求めることで、それは神と言われるとパッとこないけれど、でも何か人ならざるものにしている感覚は確かにある。

僕はクリスチャンではないから、聖書のことはよくわからんけれど、

勝手に拡大解釈すると、人に対しては求めるのではなく、与えるというアクションのみ、与えられるためのトリガーとなり得るんじゃないかって思えてくる。

思い返せば、これは僕が日々生きててすごくわかっていて、数少ない真理だと感じてることだった。

人は与えられればそのお返しに何かしたくなる。

自分のライブを見てくれた人の力にはなりたい。
自分のことを応援してくれてる人の力にはなりたい。

与えられたから、与えたくなる。

あなたの音楽が好きですと伝えたら、僕の音楽を聴いてくれた。
その人が頑張ってることを応援した、だから自分も応援してもらえた。

与えたから、与えられた。

そんな循環が僕の人生を豊かにして、僕の音楽を豊かにしてくれてる。それと同時にうまく行ってない時は、それが全然できてない時だったりする。


いい曲が書けることが大事なんじゃない、歌が大事なんじゃない。(大事というかシンガーソングライターやるなら大前提当たり前だと僕は思う)

聴いてもらえるように、応援してもらえるように、聴く、応援する。

もしかしたら、そんな前提すら捨てて、ただその人を応援するっていうのが、すごく大事なんだと思う。
なかなか難しいけどね。

なんか聖書の言葉なんか引っ張り出したから、すごく上から物を言ってるような感じになってるけど、

そんな大層なことじゃなくて。

出来た人間じゃないから、やっぱり自分の演奏見てくれない他の演者さんの演奏とか興味ないわけ。
どんなにいい歌歌ってようが志高かろうとね。

期待しちゃってんだよね。良くないと思う。

与えられないから、与えたくなくなるわけ。

そんなことをぐちぐち思ってて、このモヤモヤを歌詞にしたいなって思って、ふっと降りてきた言葉がこの「与えよされば与えられん」だったわけ。

そう思ったら、結局原因は僕にあってさ、その人に与えられてなかったから、見てもらえなかったんだと思うんだよね。もしくは足りなかったんだと思う。


この間は、人は他人にそんな興味ないなんて曲を書いたけど、でも人と生きてるから、やっぱり自分1人では何もできないから、
与えようっていうgiveの気持ちを大事に大事にしていきたい。自戒としてちゃんと曲にしたい。


1日で思うことってこんなに変わるんだよね、人間って面白いね。


---------------------------------------------------------------
今日の日記

・ライブ出演。
楽しかったな。この前もっと自分のライブに熱を込めたいって思って、今日やってみたんだけど、まだ全然うまくできなかったけど、それでも少しいつもよりグッとくるものがあったりしたな。
やっぱりライブは全身全霊でやるもんなんだなぁ。

・ちょっと飲んだ
一緒にライブ出てた仲間たちとちょっと飲んだりした。すごく久々に人と外で飲んだから、というかすごく久々に友達とどっか行ったから、短い時間だったけど楽しかった!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?