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詩片#3「誰かの一番でありたい」

今日の詩片


「あぁそうだ僕は誰かの1番でありたい
もし世界の終わりに誰か一人を助けられるとして
僕を選んでくれる人がいますように
あぁそうだ 僕は誰かの一番でありたい
もし世界の終わりに一曲だけ歌を聴けるとして
僕を選んでくれる人がいますように」

隠すことでもないけれど、僕は承認欲求が強い。

表現するだけしておいた創作物を、別にその辺に誰の目にも触れないところに転がしておけば良いものを、わざわざ丁寧にこさえて、人の評価の場に置いている。

そして、その作品が自分であって、作品の評価は自分への評価で、作品の認知度が自分の認知度であると思っている。

本来命があるだけで、その人が存在していることが尊いことで、そうであるべきなんだけれど、

あいにくどこかで拗らせてしまって、音楽をやっていない自分というものに対しての存在意義を感じづらい生き物になってしまっている。
だから、僕の音楽が認められるということが、僕の存在の承認欲求に絡みついてしまっている。

そしてさらにめんどくさいことに、一番になりたいと思ってしまうことが多々ある。

「特に決まったアーティストが好きとかじゃなくて、曲で聞いてるんだよね」という人の、一番のアーティストになりたいとか思ってたりしてる。

そんな風に自分を一番聴いてくれる人がたくさんいて欲しい。

音楽家として、その野心というかアグレッシブさは必要なんだろうなと思いながらも、心のどこかで「本当はもっと多様で、優劣などつけずに、好きな時に好きなものを聴くのがいい」と思ってる。

ああ、実にめんどくさい。

音楽家としてもっと有名になりたいと思えば思うほど、僕の本心で思っていることと離れていく。そしてその本心をまた音楽にして、離れた場所に持っていってしまっている気がする。


本質と言われるもの、真理と言われるものはきっと綺麗事。
教科書とか偉大な過去の音楽や文学やアートや、ことわざなんかに全然書いてあること。

だけどそれをちゃんとわかるためには、その真理に抗うような俗的な悩みや現状や営みを無視せず、きちんと生きることなんだと思って、

僕は毎日毎日、俗的なこと、矮小なことで頭を抱えて生きて、音楽を作っていたいと思う。

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風邪が完治せず、朝からおとなしく動画制作をしていた。

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