愚直の中の誠 愚直であることの優しさ

 こんばんは。

 最近、素敵だと思って見ている方の記事を見て、「うんうん」とうなづくことがあったので、書き記しています。

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 ちょっと、ネタバレになって申し訳ないのですが、記事のなかで「愚直」という言葉が出てきます。

 「愚直」の意味を調べると、「ばか正直。正直でいちずなこと」と書かれていました。

 「愚直」って今の世の中だと、通用しないことが多いですよね。「愚直」という言葉を聞いて、良い印象を受ける人も少ないのではと思います。

 

 だけど、みんながみんな賢くいようとして、別に賢くもないのに賢くみせようとすることは、「自分らしさ」を提唱している私としては、「そんなに頑張らんでもええんちゃう?」と言いたくなる。

 それに、賢い人を嫌う人も多いですよね。鼻につくんだと思います。「賢い」というだけで、相手が自分よりも勝っているように感じて、劣等感を抱いてしまうこともあると思います。

 何をしても敵わない相手って、手も足も出せなくて、自分とは遠い世界の人間のように感じてしまうことは、誰にでもあることだと思います。


 でも、圧倒的な「賢さ」だったり「力」とか、自分が手も届きそうにもないことは、考えるのを辞める気持ちになるのも、また人間の性だとも思います。

 いくら平等を求めても、人との価値観の違いを埋めるのは難しくて、いくら距離を詰めようと思っても、圧倒的な違いを見せられると、どこから近づけばいいのかさえ分からない。

 圧倒的に強いリーダーについていこうと思える人でなければ、「賢さ」や「力」については、嫌煙してしまう人が多いんじゃないかなと思います。

 圧倒的な違いって、「面白くない」ですよね。尊敬の念は抱けても、その人を目指して頑張ろうとは思えても、同じようにつるんだり遊んだり、話をするのは、難しいようにも思います。

 

 それも、勝手に自分自身が思い描いているだけで、実は、その人との違いは大差ないとしても、表にある顔を切り取って、見てしまうのもしょうがないことなのかなと思います。

 協調性とか、共感性を重んじる日本だと、「違う」というだけで、相手が自分と同じ人間であることを忘れてしまうのかも。


 ここから、「愚直」の話です。


 塩谷さんの記事を見て「愚直」である方が、いろいろと緩和されて楽だと思いました。何が緩和されるのかというと、境界線が断然に低くなる。

 真面目にやって、失敗することなんて山ほどあるから、それを「ここはこうすべきだった!」とか、「自分の力が足りなかったからだ!」と言うよりも、「頑張ったけど駄目でした!」と清々しく、さらっと言えてしまう方が受けとる側も「そういうこともあるよね」と優しくなれると思います。

 

 「賢くあろう」とするのは、向上心があって、素晴らしいと思いますが、「愚直」である方が、圧倒的に人の心を掴みやすいし、さらっと相手の視界から消えることができる(笑)

 

 だって、人間は不完全な生き物だから。誰の中にも良いところと悪いところがありますし、完璧にできる人ばかりではありません。

 それは、動物の世界を見てもそうですし、どこの国を見ても、そうだと思います。

 人間が不完全な生き物だからこそ、完璧を求め生きようとしますが、それを個人に当てはめてしまうのは、あまりにも酷だなというふうに思います。

 だって、逃げ道がどんどんとなくなっていくじゃないですか。

 完璧にできない人は、生きる価値もないの?
 という風になってしまいませんか?

 誰にでも「バラエティ」に富んだ部分があります。笑いのツボも違うし、ノリも違うし、興味関心も違いますし、価値観だって違います。

 誰にだって「悪」はあるし、誰にだって「善」はあります。

 その両方を認め、バランスを取ろうとして、頑張るからこそ、泥臭いなかにも美しさを感じるのではないかなと思います。

 

 私はよく母に「逃げ道は残すのよ」と言われて育ちました。私は正義感が強くて、徹底的に「悪」を排除しようと動くこともあったから、そう言ってくれていたのかもしれません。

 その意味が、30代を半ばにして、分かるようになった気がします。
 たくさんの問題に対して「逃げ道を残せ」とは言いませんが、少しぐらい間違ったからって、1度失敗したからって、違うところがあるからって、攻めたてる必要はないのではと思います。

 もちろん、それもケースバイケースです。


 いろいろと偉そうに書いていますが、私も人に良くは見られたいし、嫌われたくはないし、できるだけ良い面だけを書きたいと思っています。

 だから、プライベートなことを書かないようにしてます。書いてもいい感じになるように書いてますし、性格的に自己開示が超苦手です。

 母親になってからの方が、自己開示はますます苦手になったように思います。そう考えると、母親ってプレッシャーの中で生きていますよね。

 「子どもを育てる」って、やってみて思うけど、経済的にも精神的にも大変で、尚且つ、こなす「タスク」の量が多い。

 見えないところでの苦労がめっちゃ多いけど、「想像力」を働かせないと、そういう影の努力は見えにくい。

 

 「想像力」は、それこそ働かせないと使えない能力なので、誰もができることではないと私は思っています。

 それこそ「考える時間」が必要なので、「考える余裕」がない人は、「想像力」を働かせることを放棄してしまうでしょう。

 「考える余裕」のある人は、「賢くあろうとする姿勢」の裏側まで推測することができますが、そうでない人は「表面」だけを見て、判断するでしょう。

 だから、その「表面」が嘘であると分かった時、批判に繋がってしまうのだと思います。


 書いていて思いましたが、「考える余裕」がない人が、圧倒的に多いのが問題なのかもしれませんね。

 でも、だからこそ「考えさせない」という姿勢が優しさなのかもしれません。

 「愚直」であることは、「考えさせない」。

 馬鹿にされることもあるかもしれませんが、そこには相手に対する「優しさ」があるのだと思います。


 福本泰子

 

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