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note投稿連続100回目。ありがとうございます。

あーなんだです。

99回目の投稿かと思ったら、うっかりカウントを間違えていて今日で100回目でした。

今まで読んでいただきありがとうございます。。。


1/17に開始して、その時々に思いつくテーマで書き連ねてきました。

何を書くか書かないか、誰に向けて書くか、どう書いたら伝わるか。

本当は自分はこんな風に思っていたのか、思っていると思ったけど本当は思っていなかったのか。

いろいろ考えながら、感じながらの100回でした。

一口サイズ?の1,000文字くらいでまとめるのは、さらっと行ける時もあれば、ほぼ完成というところまでいって放棄し、別のテーマで新たに書き直すこともありました。

書くほどに自分の筆力のなさを痛感しましたが、それも書いてみたからこそ分かること。

一方で、ライトな感じ、しゃべる感じで書くなら、おもしろくやれそうだなという感覚も感じられました。

今後も不定期ではありますが、このnoteに投稿していきたいと思っています。


有名人でもないのにnoteを書いてどうするんだ?という考えも当初ありました。

しかし、有名人でなかったら書いてはいけないということもなければ、価値がないということもない。

そんな考えはまさしく洗脳としか言いようがなく、一人一人違う感性や考えの尊さを損なうものと思っています。

他の誰かと同じような内容になるかもしれないとしても、自分が感じたこと、考えたことを自分の文章として書き、人目に触れるnoteに置く。

これをやった人は、体感を持って以下のことが理解できるようになると思います。

  • 今まで自分の感じていることに大した価値はないと思わせていたのは、誰なのか。

  • 今まで自分に文章は書けないと思わせていたのは、誰なのか。

  • 今まで文章を発表することを止めていたのは、誰なのか。

自分を止める真犯人は、自分以外にはいません。

後ろから羽交い絞めにして止める誰かがいるなら、その人のせいかもしれませんが、残念ながらそんな人いません。。。

自分に対して絶対の権力を持っているのは自分以外にはいません。
自分以外にいるような気がしているとしたら、何らかの都合で自分の自分に対する絶対的な力を誰かに明け渡しているにすぎません。

人は一人一人が、生まれながらにして、大いなる力と自由を謳歌する王であり王女。
不自由な奴隷に成り下がるのは、自らの自らに対する絶対性と尊厳を蔑ろにする、まさに奴隷根性の人間のみ、ということなのかもしれません。


note100回、とにもかくにもありがとうございました。
1回あたり1,000文字として、100回で10万字。
計算してみるとなかなかの数字です。
全部読んでくださっている方がいるとしたら、10万字もよくぞお付き合いいただいた…と感謝しかありません。



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