明治維新の評価とは日本の現在をどう評価するかという問題

「薩長はクーデターの大義名分として王政復古を掲げました。しかし19世紀の世界に古代祭祀国家を復活させると言う時代錯誤の試みは早々に破綻し、それに代わる近代天皇制の構築は容易ではなく明治時代いっぱいかかりました。妄想に基づいてクーデターを強行し、権力を奪取した後で引っ込みがつかなくなってしまったと言う点では、薩長はボルシェビキに似ているのです。そしてこの事情が、近代日本国家にソ連と似たような歪みと脆弱さをもたらしました。日本は、エリートの内輪の利益を保全するために運営される国家となりました。日本の近代化工業化は、基本的にこの権力政治の産物副産物でした。ですから近代日本の政治はエリートのご都合主義に左右され、行き当たりばったりで原則も長期的な視野も戦略もありません」


「維新の評価は、日本の現在をどう評価するかと言う問題です。維新を必要悪とする立場は、日本の未来は明治以来の近代日本の延長線上にしかないとする立場です。私は、今の日本のあらゆる面での行き詰まりと混迷は近代日本国家の歪んだ体質の必然的な帰結とする立場です。その1つがたとえば東京一極集中と地方の衰退です。これは単なる歴史の解釈の問題ではありません。人は道に迷ったら一旦引き返して、どこの分岐点で道を間違えたのか確かめようとするでしょう。そういう意味で、われわれは歴史の時点を幕末にリセットして日本の歴史をいろいろ再考する必要があると私は言いたいのです」


「明治政府は寺や神社を攻撃し、皇室を近代天皇制に、神道を国家神道に作り替え、それが日本の伝統であるかのように見せかけました。そのために近代の日本人は自国の歴史と伝統をどう考えたらいいのかわからない国民になってしまいました。こうゆう歴史と伝統の毀損や偽造を必要悪と言えるはずがありません」


「日本の歴史は、神仏習合に見られるように、古いものに新しいものが追加補足として重なってきた歴史です。日本の近代化も、和魂洋才で、江戸時代の成果に西欧文明の使える部分を追加し補足する形で進展すべきでした。明治政府の上からの強権による近代化は、日本の伝統から逸脱していました。それは、新しいものが古いものを進歩、革命、改革などの名で一掃する、ヨーロッパや中国に見られる歴史のパターンでした」

いまの政権、官僚の姿形が、明治・昭和の歴史の中で延々と続きて来たこと、同じ過ち、無責任さを繰り返したことの理由がよくわかりますね。

関曠野「日本史を再考する Ⅱ」(『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』所収)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?