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骨壷を買った日

飼い猫Jの骨を入れるための骨壷を買いにディアペットへ行きました。

Jは3寸の容器に収まりました。
虹の橋のお守りを入れて、あまり骨壷カバーらしくない骨壷カバーをかけて、Jの葬儀の一連のやることは全て終わりました。

Jは今私の部屋にいます。
花もあります。キャンドルのあります。
でもきっとJには花もキャンドルも骨壷も般若心経も関係ないのだろうな。
きっとここにいたら花瓶を蹴倒すに決まっています。

もっと抱きしめたら良かった。
だらだらとしてこれという事は何ひとつする気になれなくて、こんな状態でも観れるかもしれないと思って、大島弓子原作のドラマ『グーグーだって猫である』の続きを観る(2話)。

このドラマ、グーグーの設定がちょっと違うんですよね。
原作のグーグーはペットショップで売られていた不安になるくらい小さな猫で、ホームレスから譲り受けた猫はその後仲間入りする子猫のタマ。
でもタマを拾う前にはビーという猫も拾っているから、猫は3匹。
大島さんの家はこれ以降、家猫と外猫合わせてどんどん数が増えていくのですよね。

流石にそこまでしてしまうと保護猫ドキュメンタリー的になってしまうからなのか、猫と人の交流というには猫が過剰過ぎるからなのか、グーグーとタマの設定はひとつにされ、3話以降も猫は増えることはないのでしょう。

Jのことを考えるとつらいから、こうして時間を過ごして、でもやる気は起きず、生活がおろそかになっていきます。


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