見出し画像

今月のひと駅-2023年9月

鹿児島(鹿児島本線/日豊本線)

かごしま駅 鹿児島市
明治34年開業

元来の県都駅舎は五代目

  そこにあるのは桜島だけ、と言ってよい竜ヶ水駅からは、まったく都会の兆しが感じられない。沿線の全列車は2駅先の鹿児島中央まで乗り入れるが、日豊本線としての終点は、もう次の鹿児島駅。ただし、竜ヶ水からはまだ7キロもある。そこまで孤高の道が続くことに、薩摩国の代名詞である鹿児島のまちが、いかに本州側から隔絶された環境だったか、改めて思い知らされる。

 山手の崖が少し後退して、車窓に島津家別邸の仙巌園が広がるとき、その優雅で壮大な屋敷と庭園に、ようやく「鹿児島入り」を実感できる。海へ張り出した岬の根元をトンネルでくぐれば、突如としてビル街が展開。すぐさま線路は幾条も分かれて、島式ホームが2本並ぶ鹿児島駅に着く。

 下りホームは、海側の番線が廃されてフェンスが張られている。そちらには以前、操車場が広がっていて、旅客の中心駅・鹿児島中央に対し、専ら貨物のターミナルという様相だった。平成末期から行われた駅構内の再開発で、貨物扱いの施設は縮小され、今は純然たる中間駅の観に終始する。

 この時、昭和50年代に建て替えられた駅舎も、再改築が行われた。明治の開業以来、駅舎の改築は実に4度目。旅客線と貨物線に挟まれた扇の要に建ち、改札ホールが2階にあって、ホームへの跨線橋に階上でつながる形は、前と変わらないが、外観も内装も、地元の意見を取り入れて3代前の大正モダニズムの意匠を施したという。令和2年の新駅舎完成に続いて、市電のターミナルも再整備され、駅舎との一体感をもたせるとともに、プランターを配した駅前広場やバスターミナル、さらに貨物施設跡に公園も設えられた。

 開業当初は、それこそ島津別邸や城山下の行政地区に最寄りの、名実ともに鹿児島の玄関だったが、昭和2年に川内回りの鹿児島本線新ルートが全通。城山をくぐって3キロ南西にあった武(たけ)駅が西鹿児島駅になり、戦後の復興計画で両駅での客貨の機能分離が明確にされた。本州方面からの連絡は、日豊本線よりも鹿児島本線を経由した方が近いので、確かに旅客にとっては西鹿児島の方が玄関にふさわしい。ただ、それにしても大胆な施策で、以後の市街地の発展を見ると、駅の役割とまちづくりの関係の密接さや、それに対する薩摩藩以来の先見性を実感する。

 新幹線開通で西鹿児島が「中央」駅とされ、鹿児島駅は完全に「北の勝手口」となった。それでも、市電やバスとの連絡が改善されたことで、最大の繁華街である天文館や、維新志士の史跡を巡るのに、南北二つのターミナルからの交通が一段と充実した。その回遊性を促す点からも、新装なった鹿児島駅の集客力が期待される。


駅舎正面駅名標
駅舎内コンコース
城山下の西郷像

【2021(令和3)年取材】

(駅路VISION第33巻・日豊本線Ⅱより抜粋)


あかつき舎MOOK「RED SHOES KITA-Qクロニクル」もよろしくお願いします。