肩書きは、所属ではなく「できること」。

先日、Paletteフェスタというイベントに参加してきました。神戸の西側の、全国的にはあまり知られていない播磨地域という場所で、さまざまな活動をしている人たちが集まり、交流しました。ビジネスの世界では、異業種交流会というものがあるけれども、これはその地域版といったものでしょうか。

主催は、「Palette」というWEBメディアを運営している編集長のロペスです。彼とは1年以上、飲んだり、一緒にイベントを立ち上げたりと仲良くさせてもらっています。


音楽家から、学校の先生、コワーキングスペースの運営者まで、いろんな肩書きをもつ人たちに会うので、せっかくの機会と、僕も慌てて名刺を作成して交換してきました。

肩書き、というと会社のものであったり、地域だと町内会であるとか、PTAであるとか、自分の所属するもののことだと思います。

しかし、今では、ツイッターなどを見ると、自分個人が何者かを伝えるために肩書きをもつということが流行している(?)ようです。ちなみに私は圏外コピーライターというブログで、このようなかたちでの肩書きがあるんだと知りました。


Paletteフェスタの参加者は、みんな職業もバラバラでしたが、自分の活動を実現するためにここへ来た、というよりも、もっと深いところで志があってつながっていた感じがします。それは地域をよくしたい、社会をよくしたい、など、今あるかたちではない生きやすさを追い求めているところかなと思いました。

ある参加者の方が、イベントの中でおこなわれた「地域」というテーマでの意見交換の場で、「人にたよる」力が、これからの生きていく力になるのではないか、という話をしていました。

肩書きというと、自分が何者であるかという証明であるように思いますが、本来は「自分がどんなことをできるか」ということを表すものだと考えています。志を同じくする、いろんな「できること」を持っている人が集まることで、新しい可能性が見つかるんだと思います。

ちなみに僕も、こわごわとコピーライターという肩書きを名乗って名刺交換をしていました。(名乗っちゃっていいのかなーという引け目がものすごくあるのです。)

肩書きは所属ではなく、「できること」を表現するものかもしれない。フリーランスの方であれば当然かもしれませんが、例えば「教師」という肩書きだって、できることを表していると考えられると思うのです。

今トレンドになっている新しいかたちでの肩書きも、僕自身とても興味があるので、今後実験的に始めてみたいと考えています。



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