いわっち

あだ名:いわっち。兵庫・加古川のNPO→京都の広告会社→大阪で求人ライター。文学、映画…

いわっち

あだ名:いわっち。兵庫・加古川のNPO→京都の広告会社→大阪で求人ライター。文学、映画、美術館へ行くことが大好き。お笑いも(さまぁ〜ずとか)。 コピー書きます! 京都で飲み仲間を見つけたい! Twitter:@ryota_iwahashi

最近の記事

仕事を生むために、今こそ「知識創造」なんじゃないか、という話

仕事では最近、ITツールを導入しての「業務改善」のサポートをやってます。(それにしても世の中無駄な作業であふれてる・・・) 時代的には「日本はとにかく業務の効率が悪いからどんどん効率化していこう!」が流れで自分自身お客さんに提案をしていたわけですが、去年ほぼ日の記事を見て考えを改めました。 「生まれる。」が足りていない。いやあ、本当に新しいこと、生んでないなあ。「業務改善のサービス」自体、今まで会社になかった取り組みだから仕事を生んでいるといえばそうだけれど、それだけじゃ

    • 「野原ひろしの足は臭い」ことについて|おめざブログ

      最近、国民的キャラクターが、これまでとは違った視点で注目を浴びるケースをよく見る。 例えば、クレヨンしんちゃんのひろしは、180センチの高身長で安定した職業、一戸建て持ちで理想的な父親像だ、とか。 そう言われてみると、確かに、とうなずく部分もある。 けれども、僕の中で野原ひろしは「足が臭くて可愛い女の子に横目をつかうどうしようもないパパ」なのだ。 いまキャラクターが注目を浴びるときの掛け声は「〇〇な部分もあるけど、こんないいところがあった」というニュアンスのものが多い

      • 地元の路線が廃線に|おめざブログ

        自分の実家は福岡県朝倉郡東峰村という小さな村にあります。2017年、西日本豪雨で被害を受けた地域です。現在でも復旧工事が進められている最中なのですが、村を通るJR日田彦山線の廃線がこの度正式に決まりました。 自分の実家は、村に3つある駅のひとつ、宝珠山駅の近くにあります。小さい頃からこの路線にはお世話になっていました。特に高校時代には、宝珠山駅から日田駅まで毎日通学で利用していました。 利用者が少ないため、いつも1両か2両編成。停車するのは1時間に1本程度で、終電は夜の8

        • 1ヶ月間おせちのコピーを考えてみた。

          Twitterで「おせちのコピー」を投稿新年あけましておめでとうございます。コピーライターの岩橋です。オリンピックをはじめ、今年は日本の運命の年になりそうですね。一人ひとりにとっても人生の分岐点を迎える人も多そうです。この記事を読んでいるあなたも。かく言う自分も。さまざまな人にとっての大切な2020年、一発目の記事です。お時間をいただけたら幸いです。 昨年の12月、私はTwitter上で「#1日1コピー生活」という取り組みを行っていました。 お題を決めて、1カ月間1日ひと

        仕事を生むために、今こそ「知識創造」なんじゃないか、という話

          おめざブログ 2019年8月28日

          以前、美術館の楽しみ方について書いた。今回は自分の好きな作品をすみずみまで鑑賞した時の文章が残っていたので、紹介しようと思う。 2017年に豊田市美術館で奈良美智の個展が開催した時に鑑賞した『M.I.A』という作品だ。20分くらいはぼーっと眺めていたと思う。家に帰ってから、自分がなぜその作品に「惹かれた」のかをまとめた。(ポストカードを撮影していますが、反射してちょっと見づらいです。スミマセン。)  奈良美智のこの絵からは、不器用さと、そこから感じる個人的な親近感を感じる

          おめざブログ 2019年8月28日

          おめざブログ 2019年8月27日

          ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の作品のタイトルは、なんとなくかっこいいものが多い。『見るまえに跳べ』というものから『洪水は我が魂に及び』、連作短編『新しい人よ眼ざめよ』の『怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって』『落ちる、落ちる、叫びながら……』『鎖につながれたる魂をして』などなど。『新しい人よ眼ざめよ』はウィリアムブレイクの詩からインスパイヤされているものらしいが、タイトルだけで想像されるものがある。『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』というものもある。 大江健三郎は

          おめざブログ 2019年8月27日

          おめざブログ 2019年8月26日

          一両編成の列車に、久しぶりに乗りたいと思う。自分の実家から一番近い駅はJRのローカル線で、2両編成か1両編成だった。高校生のころ列車通学だったので、毎日乗っていた。 春の日の、心地のいい日に1両編成に乗った気持ちよさは覚えている。土日の部活帰りの、お昼過ぎだったと思う。車体が小さくなるからかと思うが、みぎひだりによく揺れるだ。窓からは日差しが暖かく入ってくる。田舎なので、新緑の緑と青空ばかりが窓の外に広がっている。 自分が乗っていたのは、日田彦山線というJR線だったが、2

          おめざブログ 2019年8月26日

          おめざブログ 2019年8月25日

          美術館の楽しみ方は人によっていろいろだと思うが、本質的にはただ一つだと思う。好きな絵をじっくりと観ることだ。 大学生の頃、美術館でアルバイトをしていた。部屋の隅っこに立ち、長いときには1日7時間以上、来場者を監視していた。実に多くの人を見守ることになるのだが、ひとつのことに気づいた。なぜみんなわざわざ大真面目に列に並んで絵を観てまわるのか、ということである。 自分の提案する美術館の楽しみ方は下の通りだ。 ①ひとつのフロアの作品をざっと一度鑑賞する。あまりしっかり観なくて

          おめざブログ 2019年8月25日

          おめざブログ 2019年8月23日

          人類はいつ宇宙旅行に行くことができるのだろうか。SF小説や映画では、100年以上も前から宇宙旅行が描かれてきた。世界初のSF映画と言われる『月世界旅行』からしてそうだ。『スターウォーズ』は1977年公開で、40年前になる。しかし、まだまだ簡単に宇宙に行ける時代は遠そうだ。アポロ11号が月に到達したのは、もう50年も前のことなのにだ。 『月世界旅行』の原作者であるジュールヴェルヌは、「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。」という言葉を残している。彼が生きていた当時は

          おめざブログ 2019年8月23日

          おめざブログ 2019年8月22日

          突然だが、幽霊はどうしてある程度型にはまったものしかいないのだろうか。幽霊をみたことがないので、型にはまるも何も本当はないのだが、それは無視して話を進めていく。 ひとつは髪の長い女性の幽霊。白い服を着て、装飾が豪華になると血まみれになっている。顔は見えない。トンネル内で目撃されることが多い。子どもの幽霊は青白い顔をして部屋のなかを歩き回ってたまについてきたりする。じっと部屋の隅に立ち止まっていたまま動かないおじさんの幽霊などもいる。テレビで観る心霊特集や、知人から聞く幽霊の

          おめざブログ 2019年8月22日

          おめざブログ 2019年8月21日

          更新2日目だ。2日目にして連続更新の危機が訪れていた。出勤時間が特別に早いのである。7時半には京都の烏丸というオフィス街へ行かなくてはならない。会社で発行している地域情報誌のフリーペーパーを街頭配布するためだ。1時間半の間、道ゆく出勤途中の人たちに配り続ける。 街頭配布は3度目くらいになるが、まあ朝からみんな疲れた顔をしている。自分が待ちかまえている場所が、地下鉄を降りて地上を出る階段をあがった先なので、満員電車や階段で息切れしているんだろうか?とも思ったが、そればかりでは

          おめざブログ 2019年8月21日

          おめざブログ 2019年8月20日

          毎日更新し続けることを目標にして、ブログを始めてみることにした。朝に更新する予定なのでこのタイトルにした。小学生の頃、朝番組のはなまるマーケットで「今日のおめざ」というコーナーがあった。いつもは学校に行っている時間なので、夏休みに見るととても気分がよかった。だからというわけじゃないけど、なかなか気に入っている。 ブログのタイトルといえば、最近は抽象的で思わしげなものが多い気がする。どれもこれも意識が高いものに見えてきてしまう。自分の心が歪んでいるからだろうか。正直に言って、

          おめざブログ 2019年8月20日

          ご飯は炊くだけでうまかった。

          ひとり暮らしの僕は、ちょっと前まではけっこう自炊をしていた。カレーや肉じゃが、ハンバーグ、豚汁。基礎的な料理なら一通りは作っていた。いちばん凝っていたときには、きゅうりの酢の物やレバーの煮物なども作って冷蔵庫にストックして、いつでも食べられるようにしていたし、ラタトゥイユみたいなそれまで食べたことのないものまでチャレンジしていた。 去年の無職(フリーランス)だった時期は、彼女さんが休みの日には料理をつくってあげたりもした。僕が何もすることがないのだから、当たり前に作っていた

          ご飯は炊くだけでうまかった。

          令和二年の梅の鑑賞

          新元号「令和」が決まってから、梅の花が注目されている。 僕は今年2月に、京都の長岡京市に引っ越しをした。家から歩いて20分くらいのところには、長岡天満宮がある。長岡天満宮は梅の名所で、ちょうど梅の季節がはじまる頃だったので、何度かに分けて梅の花を観に行った。 梅は、桜ほど派手じゃない。同じ瞬間に咲き乱れるわけではないし、花の密度が低いからか、満開のときでも、どこか咲き誇っているという印象ではない。それに、花が桜のように一斉に舞うこともない。 桜はとても日本人的な文化を育

          令和二年の梅の鑑賞

          水のような文章を書きたい。

          小説家の吉行淳之介さんのエッセイにこんなことが書いてありました。 私は水のような文章が書きたい。水道の水では駄目で、あれはカルキのにおいがする。水は無色透明だが、無味ではない。味ともいえない微妙な味がある。(略)水になってしまえば、「文章に実用的と芸術的との区別はない」ことになる。 前に「実用的な詩を書く」というコラムを書きました。「実用的な詩」というものを、別の視点からとらえてみたものと言えるかもしれません。 引用に補足すると、吉行淳之介は、過度な修飾をさけて、「必要

          水のような文章を書きたい。

          「歩く」ことを意識するということ。

          初めて都会に住んだとき、何より人の歩く速さに驚いた。しかも、誰もが歩きながら、誰とも視線を合わすことがない。今では見慣れた風景になってしまったけれど、田舎者には驚きの風景だった。 実家の周りは、山に挟まれて家が数件集まっているだけの集落だった。なので、歩いているときに出会う人は、ほとんど顔を知っている存在だ。小学校の登下校は、家から学校まで2kmあり、子どもの足で40分以上かかっていた。下校の時には、近所の親御さんが車で通れば、家まで乗せてくれていた。 大学で実家を出て、

          「歩く」ことを意識するということ。