見出し画像

記憶の中でどんどん美味しくなる/Sri Lanka/たびのきおく

 人生で一番美味しいと思ったカレーは?と聞かれたら、決まって、「スリランカのおうちで食べたワタリガニのカレー」と答えている。思い出の中で更に美味しくなっているから、きっとこれを超えるものに僕は出会えない。

 そのカレーを作ってくれた人。スリランカでお世話になったティッサさんが亡くなって、5年が経つ。最後に彼に会ったのはティッサさんが亡くなる2015年夏の終わり頃だった。

 その年、僕は5年ぶりにスリランカに向かい、2週間の滞在の最後にスーパーマーケットの前で待ち合わせしてティッサさんに会った。「ちょっと太ったね!」と言われた。対照的にティッサさんは痩せて骨ばっていて、髪は真っ白だった。

 この時彼は末期の癌であり、西洋医療の治療を辞め、アーユルヴェーダに切り替えて、まさに終活をしているところだった。 
 
 久しぶりに会ったティッサさんとは、立ち話ながら、たくさんの話をした。僕自身、伝えたいこともたくさんあったし、伝える術も持っていた。彼に初めて会った後、僕はたくさんの国を旅行し、カナダでワーホリもして、英語で日常会話ぐらいなら会話できるようになった。積もりに積もった沢山のエピソードを、以前は知ることのなかった多くの語彙で彼に伝えて、感謝を告げ、近況を告げ、そして最後にサヨナラを告げた。僕は彼と話すのはこれが最後なんじゃないかと悟っていた。なんせ末期癌なのだから。その後、帰国したのちに彼の死を娘さんから聞かされて知ることになった。

 僕が初めてスリランカに行ったのは2011年の9月。21歳の時。このスリランカ滞在が人生初の1人海外にして、海外旅行ならぬ、「滞在」だった。僕は大学を休学して最初の1か月の間、スリランカにステイした。カレーにはまっていた僕は叔父の同僚のスリランカ人であるティッサさんを紹介してもらって連絡を取り、大胆にも1か月間のホームステイを計画したのだ。

 ただ滞在するだけではもったいないという話になり、人生初の英語の履歴書を書いて、ティッサさんの奥さんのスレカさんの働く新聞社Sunday Observerでインターンさせてもらうことも決まった。少し緊張しながら飛行機に乗り込みコロンボへ飛んだ。

 初めての1人海外にして、スリランカ。たくさんの衝撃、出来事、事件を味わった。空港職員にぼったくられたり、窃盗されかけたり、腹を下して病院に行ったり、海外あるあるはもちろん一通り色々あったが、基本的には家族の優しさに包まれた日々だった。

 僕は新聞記者のスレカさんと一日連れそい、一緒に取材に行き、レコーダーを回して取材内容を録音して、お昼にはスレカさんお手製のパーセル(スリランカ式弁当)を職場の食堂で食べ、同僚の人達に囲まれて質問責めに合い、午後には取材内容を記事に起こして、添削されて、ヘトヘトになって、夜にはおうちスリランカ料理を食べて、グーグー寝た。

 そんな生活を数週間すごし、最後には僕の書いた記事を新聞に載せてもらうことにもなった。なんて寛大なことか。今でも思い出深い出来事になっている。koji ando のクレジットを入れてもらった記事は今でも紙面で大事に保管している。


 そんな一か月の滞在の中で、普段スレカさんに料理を任せているティッサさんが、ご飯を作ってくれた日が一日だけあった。

 その日はスレカさんは残業が長いとのことで、ティッサさんは買い出しに行って、土器の鍋でせっせとカレーを作ってくれた。それがワタリガニのカレーだった。蟹のカレーなんて食べたことないぞ!と思いながらキッチンで釘付けになって料理を見ていた。

 正直僕はその味を鮮明には思い出せない。美味しかったことだけ、覚えている。蟹の可食部は少ないながら、蟹の味噌が溶けた濃厚なカレーグレイビーをいつまでも食べたいと思ったことだけ覚えている。


 コロンボでのティッサさん宅での滞在ののち、ティッサさんの実家のキャンディに向かい、ティッサさんの母に振る舞ってもらったキリバット(ココナッツで炊いたお祝いのライス)とルヌミルス(玉ねぎの辛いピクルス)も美味しかったし、ココナッツジュースもたくさん飲んだ。たくさんの美味しいご飯を食べて、僕は帰国した。

その滞在から帰国した後、僕は休学中にカナダへワーホリへ出かけ、在学中から就職後にも、中南米、アジアへ数十か国旅行した。たくさんの刺激的な食を経験し、たくさんの家でホームステイして、たくさんの料理を作った。そして、自分のお店を開くに至った。

 旅の記憶を思い起こすと色々な記憶が脳内を渦巻いてるけれど、間違いなく今やっているお店の全ての始まりがスリランカからだったと思う。右も左もわからず、飛行機の乗り方もわからず、言葉もうまく分からず、不器用に過ごした一か月。だからこそ、何もかも新鮮で、新鮮過ぎて細かいことはあまり思い出すことができないような、まぶしい思い出がたくさんある。

 だからこそ、なのかもしれないが、未だに超えることのない1番の感動の食体験は、ティッサさんのワタリガニカレーのままだ。彼の手料理は二度と食べることのできないので、ナンバーワンは更新されることはないのかもしれない。僕はそれを再現しようとも、超えようとも思いもしないが、食の本質はそういうことなのだと思っている。

 美味しいのはもちろん大事だけど、どんな時に、どんな状況で、誰と食べた、誰が作ってれたご飯か、というのがそれ以上に大事なファクターなのだ。「美味しい!」という気持ちに羽根を生やしてくれるのは、そういうことごとだ。ワタリガニのカレーはもちろん美味しかったし、味以上に刺激的な瞬間を形作るご飯だった。だからこそ、記憶の中で、どんどん美味しくなっている。そして、何もそれに勝てないのだ。

 今は毎日料理をする仕事をしているが、僕には、「圧倒的にうまいものを作ろう」という気持ちはない。美味しいものを仲間たちと、恋人と、楽しく素敵に味わって、酔っ払って気持ちよくなる場を提供したい、と思って毎日料理している。食とはそういうものなのだ。

また、ゆっくりスリランカに行きたいものだなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?