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『ソラリス』を読んで

2020年8月19日

久しく書いていなかった。
『ソラリス』を1ヶ月前に読み終え、紹介を兼ねて感想を書こうとしたものの手が止まった。どうも梅雨が長いと苦しい。酷暑の方が好き。かんかん照りにならないと気持ちが動かない。

『ソラリス』スタニスワフ・レム著 沼野充義訳/早川文庫SF (2015年)

1961年に刊行され、最初の邦訳はロシア語版からだった。ロシア語版は、検閲対策として作品の一部を削除したため、完全な形で邦訳されてはいない。
2005年に国書刊行会よりポーランド語からの直接訳が出版。2015年に同じ翻訳家で早川文庫からポーランド語直接訳版が出版された。

『ソラリス』はタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』で知り、それ以降、触れてくることはなかった。(ソダーバーグの『ソラリス』も見ていない。)タルコフスキーのノスタルジックで美しい世界観が「ソラリス」というと、ずっと念頭にあった。しかし、小説、レムの『ソラリス』とは全く別物だった。印象的だった映画の結末は小説と全く違う。ノスタルジックな答えのが用意された映画に対して、小説は読者に結末の答えを用意していない。読み終えたあとのスッキリした感情は決して生じない。

よく売れる小説は答えと落ちがしっかりしすぎている。それは読みやすいし、読み解きやすいので良いことだと思うのだが、いつも「ここに着地してください」という物語の指示の元、結末を迎えてばかりいるのもどうかとは思う。そればかりだと心地よさしか本からは得られないんじゃないかな。
SFは本来、思惟するもの。小説を読み終え、答えのない問題と向き合う。いったい人類とソラリスはどういう未来を迎えたのだろう、かと。

今は、SFみたいなパンデミックが起きてしまい、無駄に恐れたり、楽観的になりすぎたりして、てんやわんや。「正しい」ということに振り回されて、他者を無遠慮に否定したり。ここが着地です、なんて現実では教えてくれない。
だから、SFを読もう。
ワイヤードもSFが特集だったし、アートもデザインもスペキュラティブフィクション。
私たちの知ってる世界から、私たちを解き放たないと、本当の私が何者なのか知り得る術はないと思う。


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