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最初の一歩。(ポールランド、デザインの授業)

2020年4月19日

 自粛がはじまり2週間くらいだろうか。走る量が増えて、疲れてしまった。自粛にはまだ疲れてない。今朝は9時まで寝ていた。次男が起こしにやってきてくれたが、気がつかなかった。
 キャベツの千切りと納豆で朝ごはんを食べる。子どもと妻はすでに食べたらしい。晴れていた。リビングから見える空には雲が見えない。気温も上がりそうだ。
 買い物に行ってくるよ、と妻が外へ出かけた。子どもたちと留守番をする。レゴブロックで子ども二人が遊ぶ。クライミングのトレーニングを30分ほどする。それから本を読む。

 買い物から帰ってきた妻、妻の実家から送られてきた宅急便が同時にやってくる。妻は買い物袋を、私たちは宅急便の箱を開ける。箱の中にはお菓子がたくさん入っていた。子どもたち二人のテンションは上がる。
 昼ごはんはたこ焼き機を使う。ホットケーキミックスで、まん丸のホットケーキを作る。残っていたご飯も焼いた。小さな焼きおにぎりのようにして食べた。

 午後2時か3時くらいか、妻が走りに行くと言ったまま、4時まで走る格好を選んでいた。走りはじめるまでに時間がかかる。
 トレーニングパンツを履いて、初めの一歩を踏み出すことが一番難しい、と言ったロン・クラーク。走るのが嫌いな妻は、より一層なかなか一歩を踏み出せずにいた。

 妻が走りに行っている間、昼寝をしていた。目が覚める。子ども二人がレゴブロックで遊んでいた。デジャブだろうか。
 二人をリビングにおいて、クライミングのトレーニングをする。次男がやってくる。二人でクライミングの真似事をして遊ぶ。

 妻が帰ってきて、夜ご飯を作る。風呂へ入る。夕食の支度をして、みんなで食べる。鮭とニラ玉。美味しかった。妻はレモンサワーを飲み、少し分けてもらう。家で飲むとすぐに酔いやすい。一口飲んだだけで頭がふわふわしたりする。

『ポール・ランド デザインの授業』 マイケル・クルーガー ビー・エヌ・エヌ新社

 20世紀を代表するグラフィックデザイナーであったポールランドの講義録。冒頭では著者のマイケルクルーガーとの対談もあり、どういった信念、心構えでデザインをしていたのかを知れる。

 ポール・ランドはIBMやabcのロゴデザインが有名で、ステーブ・ジョブズがデザインの師と仰いだことでも知られている。実際にはNEXTでしかジョブズと仕事をしたことはない。

たいていの場合、人々はデザインについて話しているが、誰もテーマを理解していない。誰も考えたことがない。中にはデザインとはネクタイの柄や、浴室の壁紙、カーペットの模様に見られるものだと考える者もいる。それが、デザインの一般的な認識なんだよ。そうしたものもデザインの過程の一部ではあるが、それらはたんなる装飾にすぎない。

 デザインということを考えると、あまり日本語にぴったりくるものはない。芸術や美術とも近しいし、同じことでもあるように思えるが、制約の多さが違うのだろうか。与えられた問題に応える。問題は何かを考える。数学の問題を解くみたいだ。

 ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を初めて目にしたとき、言葉と数式が同じことだと思ったのを覚えている。表現する言語が違う。言語にはルールがあり、それを共有しないと伝わらない。私は日本人なので、日本語以外は習得しないとならない。いま、中国語を習っているが、使えるようになるまで、果てし無く遠い。

 デザインはビジュアルランゲージだ。ある程度文化を共有していれば、ビジュアルで伝えることは万人に伝えることができる。しかしそれゆえに、抽象的なものになる。それ、という厳密な指示は苦手だ。ある程度以上、読み手に答えを譲る。

 デザインから遠いところに生きていると思っていたが、この世にデザインされていないものはない。デザインとは形と中身の関係性である、とポールランドは言う。装飾にすぎないものか、中身を表しているのか。それを見た時、触れた時、どう感じるのか。
 私の仕事でさえも、デザイナーの思考は重要な位置を占める。何を伝えるために、何を修飾するのか。削るのか。

 さて、勉強しようと思うと、本の1ページ目が重い。厚い本だとなおさら身構えてしまう。あまり勉強をしてきた方ではないから。その点、この本は薄い。パラパラめくりやすいので、とっつきやすい。かわいらしい装丁も好き。

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