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五月のケーキは涙の味

実家では、毎週日曜日にコーヒータイムがありました。

普段はそれぞれのことで忙しい家族が、日曜日の午後三時にだけは集まる。そのたったひとつのことが、この家族のゆるい関係を健全に保ってくれていました。

そのコーヒータイムのために、父はいつも同じお店のケーキを、その都度種類は変えながら、買ってきてくれていました。日曜日にはだから、父はお昼ご飯を食べたら、そのケーキ屋があるデーパートまで車を走らせました。ケーキを買うことだけが目的ではなく、その近くにある大きな本屋さんに立ち寄って本を物色することも、父の楽しみだったようです。

毎週日曜日のほぼ同じ時間帯にケーキを買いに来ていたお爺さんを、お店の人も覚えてくれていたことを、父が嬉しそうに話してくれたことがありました。いつも父が買うケーキの数を把握していて、それに合うサイズの箱を既に準備しながら、今日はこんな新作がありますよなどと話しかけてくれたのだそうです。

そうやって父が買ってきてくれたケーキとコーヒーを味わいながら過ごした良い香りのする時間を、今でも忘れられません。父以外は全員女性という中で、あまり多くを語らず、そのかしましい会話に時々ニヤッとしながら静かにコーヒーを飲んでいた父。ニヤッとする理由はその都度違うのですが、もっとニヤッとさせたくて、どんどん会話がかしましく発展していきました。

父が亡くなったのは十年前の五月です。

数ヶ月後、寂しい思いをしているであろう母の様子を見に実家に帰省したときのことです。

いつものコーヒータイムのために、そのケーキ屋さんでケーキを買っていくことにしました。

あぶないなあとは思っていたのです。デパートの地下街に足を踏み入れたあたりから、胸がキュンとなって、角を曲がって見慣れたロゴが見えたときには、息が浅くなっていました。日曜日ということもあり、お店には数人のお客さんが並んでいました。その最後尾について待っている間、私の脳裏にはいろんな光景が浮かんできました。

父のことを覚えてくれていたのは、この店員さん達だったのだろうか。年をとって背が縮んだ父が、こうやって列に並んで、どのケーキを買うかを考えていたんだなあ。

店員さん達とのちょっとした会話をにこやかに楽しむ父の姿が、並んでいる人達に重なり、私の涙腺はもう崩壊寸前でした。

「いつもケーキを買いに来ていた父は数ヶ月前に亡くなりました。ケーキを買いに来ることが、父にとって一週間のひとつの楽しみになっていました。優しくしていただいてありがとうございました。」

と、店員さんに言えるわけもありません。私の心の中の叫びでした。

ダムが決壊してしまうほどの涙があふれ出してしまっては困るので、私は必死に次の仕事のことや、これからやらなければいけないことなどを思い浮かべて、冷静になろうとつとめました。

そうやってやっとの思いで買った、少し数が減ったケーキが入った箱を持って、そそくさと売り場を後にしました。

それ以来、その売り場には行っていません。

全国展開されているケーキ屋さんなので、今住んでいる場所にも、そのケーキ屋さんはあります。その前を通る度に、いまだに胸の奥の涙の蓋が少し開いて、そのケーキはかすかに涙の味がしそうで、買えていません。

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