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底なし沼

私は疲れると機嫌が悪くなるということに、もうかなり前から気づいていました。

そんなちっちゃな器の自分を受け入れられなくて、ただでさえ自分嫌いなところへ、さらに自分を嫌いになっていくという悪循環に陥ってしまいます。

自分が調子悪いときほど、周りの人達の活躍ぶりがまぶしく、自分はどんどん暗闇に落ちていくという底なし沼状態になります。

こういうことが最近はほとんど起こらなくなっていました。

でも、今日はなぜか不意打ちで、その底なし沼に落ちてしまったようです。

原因は何だろうと考えてみるものの、特に思い当たることはありません。

そりゃあそうでしょう。

思い当たるようなことがあれば、その前に軌道修正が少なからずできるわけで、軌道修正していれば、ここまで落ち込むことはないはずです。

でもなぜか、底なし沼に落ちてしまいました。

もうこれは事実なので変えようがありません。なんで落ちるのよっと昔の私なら、そのこと自体に腹を立て、自分の怒りの火にさらに油をそそぐことをしてしまっていました。

今はさすがに、少し成長しました。

こういうときは、瞑想の要領で、精神状態が悪くなっている自分を少し離れた対岸からながめてみるのです。

ここ数日の自分の行動を思い返してみます。

急な酷暑で体には相当の負荷がかかっています。それにもかかわらず、仕事も遊びもと欲張って精力的に行動していました。

複数の勉強会に出席し、朝は4時台に起床して朝散歩。その後にヨガと瞑想。午後からは映画にでかけるために、家事もこなして、ポモドーロタイマーをかけてやる気スイッチが入りにくい仕事もやっつけました。

このやっつけているあたりから雲行きは怪しくなります。こんな毎日を続けていれば、そりゃあ疲れます。

そうなのです。

行動している最中はそのことに夢中になっているので、確実に底なし沼に自分から近づいて行っているにもかかわらず、そのことに気付きにくいのです。

ところが、対岸から眺めてみると、火を見るよりも明らかなのです。

もともと体が丈夫ではない私。ないものをねだっても仕方がありません。もうこうなったら、一旦全てを止めて引きこもるしかありません。

底なし沼の対処法はふたつです。

一、落ちる前に気付いて落ちないようにする。
二、落ちてしまったら潔く底まで落ち切る。

このふたつです。

で、今回は落ちてしまったので、もう底まで落ち切るしかありません。

ただ、これは決して否定的な意味ではありません。

底まで落ち切ると、その反動でより高く水面から飛び出すことができることを経験から知っているからです。

まず、可能な限りデジタル機器をさわらないようにします。

家事も仕事も厳密な優先順位をつけて、優先順位一番のものしかしません。

それ以外の時間は、できるだけ静かな環境に身を置きます。

気持ちいい睡眠につながる程度の運動をして、頭中心モードから体中心モードに切り換えます。

食事量も抑えた方が効果的です。

こうすることで、体も頭も心も休めることができます。最低限のことはやっているので、罪悪感も最小限に抑えられます。

今の世の中、常に心も体も頭もフル回転を継続してしまいがちです。また、そういう自分でいなければいけないというような強迫観念を私などは持ってしまいがちです。

でも、スーパーウーマンではない自分には、自分に合ったやり方があるはずです。

こうして文章にしてみることも、実は自分を冷静に見つめ直すひとつのとても効果的なやり方です。

底なし沼の底はあるのかといういじわるな考え方もありますが、人間、そんなに沈んでばかりはいられないものです。これも経験値です。

それに、ここだけの話、沈むときは、鎮静剤を打たれたときの、あるいは入眠まぎわの、有無を言わさずすべてを手放してしまえる、あのなんとも言えない心地よさがあるのです。

たまには、そんな心地よさに身も心も委ねてみても罰は当たりません。

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