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大根に備わる知恵(あね)

いもうとへ

今年の梅雨は早く訪れて、夏は暑いのだとか。ひぇ〜勘弁。今が1番よい時期かもなぁ。元気?

さてさて。大根をトマトで煮こむの、いいと思うよ。季節は真逆だけれど、寒〜い冬に、洋風おでんみたいにして。ベーコンや鶏肉なんかと合わせて、玉ねぎやにんじんもゴロゴロ入れて。かぶなら溶けちゃうところの染み染み担当を、大根になら安心してまかせられるし!
とはいえうちの子どもたちは、煮た大根はたくさんは食べず、大根ならフライが断然好きだけど。外さくっと、中はじゅわっ。
私はぴちぴちの甘い大根を、塩とオイルとレモンで生で食べたいし、天日干しをしてぎゅっと旨味が凝縮されたのを漬物にするのもいいなぁ。
どんな料理にも変幻自在で、味のあるやつ。大根役者の意味は、そんなふうに変えても成り立つのではないでしょうか?

それで。
「大根は味噌汁の具で十分いいじゃないか。」という諦観をもち、「旦那さんとの話し合いのチャンネルを切ってしまう自分のことを、ありのままだと言うのは烏滸がましい。」というあなたに、三輪さんの言葉はどう響いたのかなぁと思っています。(もう姉の権限を振りかざすような言い方はしまい、と慎重になりながら…)

「ありのままの私で愛されたい、なんて、泥のついた大根をそのまま食べてほしいと思うようなこと。自らを磨いてちゃんと料理なさい。」
という三輪さんの言葉は、人付き合いの節度を守りなさいということではあったとしても、それ以上に人の目を気にしなさい、ということではなかったはずです。だって、三輪さんよ?前世ピカチュウよ?(本人談)
三輪さんの言葉で私が覚えているのは、
「人付き合いは腹6分目。」
です。つまり、人との距離はそれくらいに保っておくのが良い関係性なのだということ。悲しいかな、人と人は絶対的に分かり合えないし、だから好きでいてほしいがために自分を磨くのは、かえって自分を見失うことだと三輪さんは言っているのではないでしょうか。
三輪さんがあんなふうに堂々と生きて、皆の相談を受けて、信頼され慕われているのは、人に好かれる自分でいるからではなく、自分を知り、自分につながっているからなのだと思います。

話し合いのスイッチを切って、旦那さんに叱られてしまうのは、ありのままのあなたじゃないと思うよ。その根底にある、「分かり合いたいけれど、どうしたらいいかわからないし、これ以上傷つきたくない」という思いを表現する術がそれなのではないかな。自他への暴力的な言動というのは、「わかってほしい…!」の、最終手段なのだと思います。(たいてい、その手段はうまくいかない。)

あなたのありのままの姿は、自分が自分のこと(自分の感受性)をそのまま愛していたい、という穏やかな境地なのだと思う。本当は。それを旦那さんにもわかってほしいんだよね、きっと。(絶対的には分かり合えないから、2人でいることに意味があるよね。価値観が2つあるから、成長していける。)

***

カールロジャーズ、という心理学者は、本来人間には「有機体の知恵」が備わっていると論じています。自分の価値観で生きている子どものうちは、存分に活かされていたそれを、人間は社会的な価値観にさらされるうちに放棄してしまうのだそうです。愛されるために、認められるために、本来の有機体の有り様は、歪んでいく。その歪みに、いつしか自分自身が苦しめられるのだと思います。
でも、その知恵は取り戻すことができるのだよ!ない?誰かの言葉や、自身の体験から、フワッとした気づきを得ることが…!
心を亡くさずに生きていると(休むって大事)、自分の中に浮かんできた感情に良いも悪いもつけず、ただそれを味わってみることができるようになる。そんなふうにして、自分に備わっている知恵を取り戻し、自分とつながることになるのだと思うよ。三輪さんもきっと、少しずつ本来の自分を取り戻していったんじゃないかな…(ピカチュウ)。
それって、ちちの言っていた、「自分が何者か」わかろうとすることでもあると思うんだけど、どうだろう。

とはいえ、私も落ち込んだり不安になったりする日々から抜け出せません。会いたいな。いっしょに美味しいものを食べたいな。銀座辺りなら、私たちの想像も及ばないようなすんごい美味しい大根料理があるかもね。

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