なんでも

洗っていない食器にレースのカーテンをかけて見えなくする。生活する。生活ってごちゃごちゃしている。ごちゃごちゃから逃げられない。生活が佳境に入っている。
タケノコをもらったので、煮物をつくる。いろんな具材を切って炊飯器に入れてスイッチオンするだけ。
夕ご飯にうどんを食べるつもりで麺を買ってきたのに、冷蔵庫に焼きそばが残っていたので食べる。うどんを食べる気分だったのに焼きそばへの変更を余儀なくされて可哀想だったが仕方ない。生活だから。

味ご飯おにぎりをどれでも食べていいよと提供されていて、ラップにシャケとかカツオとかワカメとか、なんの味なのか英語で書いてあって、インド人が「生の魚は食べられない」と言っているのを周りの人みんなして「生じゃないよ!」って言ってるのに、頑なに塩にぎりしか取ろうとしないところとか見て、きっとこの人は決めたことは何を言っても聞いてくれないんだと思った。慎重すぎる姿を見てイライラする私が生じるのはどうしてなんだろう。私なら気にしないのにって?通じなかったのか。それとも他に理由があったのか。事情があるのだろうが。ぐぬぬ。
日本のおにぎりを食べて欲しかったという気持ちか。美味しいんだから。日本にいるのにインドに閉じこもっているのを見るのが寂しい。

自転車に乗っていて、交差点で歩行者と交差する時に、歩行者が止まらずにそのスピードのままで歩き続けてくれたらスムーズにいくのに、それはそれは鹿児島実業高校の体操部のように華麗にすれ違えるスンポーなのに、ぶつかりそうと判断されて止まられた時、止まらなくて良かったのに、と残念な気持ちになって、残念に思うのはお門違いなのだけれど、私のイメージが言わずとも他人に共有されるわけではないので、そんなこともある。うまくいくときもある。そうやって、私のイメージを押し付けたい気持ちを持ちながら生きている。

近所の教会でグリーンマーケットをしていて、植物を買ったので、植え替えるための鉢が欲しい。

木が窮屈そうにしている。のびのびさせてあげたい。

変な植木鉢が望ましい。プラスチックではなく。自分で変な植木鉢を作りたい。余計な飾りがついていて、意味のわからない模様の入った植木鉢が欲しい。縄文土器の形をした植木鉢が欲しい。本当の縄文土器みたいに土をこねて野焼きで作りたい。土がセラミックになる経過を見たい。野焼きをしたい。

太陽熱で温水を作る器械があったらいい。雨水で水が賄えたらいい。その水は家の壁面に循環させて室温を一定に保てたらいい。下水を全て微生物で分解して浄水できる装置があったらいい。太陽熱で料理ができたらいい。ソーラー発電して電気を賄えたらオフグリットな暮らしができる。電気で制御するのは浄化槽のかき混ぜモーターとポンプと水圧。放射熱で天井から熱を逃して夏は涼しく、冬は断熱材で覆って温かく。

指がぽつっとした膨らみに触れた。なんだろうかと触っていたらプチっと潰れた。ニキビだった。仕事しながらそんな感じだったとき、隣の席の同僚が、無言でヌッとスマホを視界に入れてきて、写真を見せてきた。去年結婚して辞めていった元同僚の結婚式の写真だった。結婚式はしないと言っていたけれど最近したようだ。そして妊娠しているとか。私は忙しくて、おおすごい、と薄いリアクションをして仕事に戻っていった。そして私には写真を送ってくれないんだなとほんのり寂しくなった。嫌いな人が共通してて、愚痴を言い合うことで仲良くなっていたつもりだったけど、写真は送ってはくれないのかそうか。結婚して、妊娠か。辞めていって一年経たずの間に人生が激変していてすごいことだ。

ほら、こういうのが私の日記でした、前から。こういうスタイルだった。散漫なの。最近は一つの話題を捻り出すのを頑張っていた。軽く考えよう、死ぬわけではない。飛んでいく。詩だと思ってサイコパスでおもろいのに、ほら。
まるでいいものみたいに。恥ずかしい。
言語化できるというのは一つの到達点であるのだから、いつも到達できるわけではないのだから、正解の周辺をうろうろして、スッキリしない日の方が多いのだ。
そうだぜ私には無理だぜ、苦しまないようにするために同じ土俵に上らないのだ。
恥ずかしいのはしょうがない。恥ずかしながら生きています。

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