生きる

無理をすると虚無が来る。一切無理をしない。

イスラム教の考え方で人生のアドバイスをする本を読んだ。「どうせ死ぬこの世は遊び人は皆」中田考著


仕事はやめよう、お金はあげよう、とりあえず結婚しよう。ざっと読んで、ざっとな理解だけど、お金をあげようのところが私に刺さる。

イスラム教では喜捨という考えがある。貧しい人ほど寄付をせよですって。読んだ私は単純だから、貯金を誰かにあげたくなった。私の貯金はそんなに多くはないものの、持っていても仕方がないので誰かにあげたい。
そう思っていた矢先に伊藤雄馬さんがお金がないからバイトを始めるとnoteに書いていた。口座番号、教えてもらえたら、エイヤと振り込みましょう、と思いました。そんなことを誰にもしたことがないし、したらどんな気持ちになるのかわからないという恐れの気持ちもあり、こうして消極的にエゴサ待ちをしてしまうのだった。言葉だけここに置いて成り行きに任せてみる。
人にお金をあげるということがどういうことかよくわからないし、特に目的もなくもらう気持ちもどういうものかわからないけれど、動かないお金というのは持っていてもしょうがない。貯金はネットバンキング上の数字なだけ。欲しいものもそんなにない。小型プロジェクターを買おうとしているけれど、それでも余る。お金の使い方がわからない。
喜捨したところで感謝とか何もなくお金が減るだけ。特に何も起こらない。金は天下の回りものと言って、あげたら見返りが返ってくるように思われているが、それは勘違いで、見返りなんてない。イスラム教ではそれが当たり前。でもそんなことになったらこの先たまに、あの時エイヤと振り込んだな、くらいは思い出すのかもしれない。

持てば持つほど、社会への責任が大きくなる。軽くなりたい。私(含む全人類)は価値がない。自由意志はない。この世は遊び。仕事はやめて、生活保護をもらったらいい。飢えてどうしようもなくなったら、コンビニに食べ物がたくさんある、それを取って食べたらいい。そしたら窃盗で捕まるけれど、刑務所に入れたらそこでご飯が食べられる。
軽いなぁ。
全てに共感できなくとも、考えの軽さのほわほわとした感じをなんとなくインストールして、深刻に考えそうになった時の脱力ボタンになってもらおう。私は宇宙との接点。脱出!

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