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こんなの目にするとチト嬉しい!

今日はふて寝をしてしまった訳だが、ツィートをチェックしていて、ホッとした。

こんなの目にするとチト嬉しい。

この子の方が良い。×にする先生は淋しい。


本当にそう。ほんとにホントにそう!

私の母校船峅小学校は、明治のはじめに地域民からお金を集め創った。地域の人が応じたのは、子供は未来だから。未来のためにお金を出した。

だから、僕が小さい頃は運動会など村中の人たちが集まってきた。地域の運動会でもあった。

やがて『教育』と言う言葉が多く流れるようになり、学校で酒はダメと言う時代に成る頃には、人は学校に行かなくなった。学校は『教育』と言う言葉と共に、閉鎖されていったのだと思う。(地域の運動会は公民館でこじんまりと別に行われるようになった。)

地域の人がお金を投じたときには、教育のためではなく、子供達のためだったように思う。

それってとても大切なことのように思う。

今は『教育』と言うわかったような言葉が、未来を踏みつけ、壊していると感じる。


船峅は越中から飛騨の国への入り口にあった小さな村だ。
(M22年、人口2,842名)


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