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26歳で脳腫瘍発見。2度の手術と放射線治療をしました。あの時の出来事、感じたこと今思う…

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26歳で脳腫瘍発見。2度の手術と放射線治療をしました。あの時の出来事、感じたこと今思うことや、これからの生き方、好きなもの、考え方など思うままに記録。余生が始まる30歳を機に、大好きな犬とのスローライフへ一歩を踏みだしました。

最近の記事

みんなのところに行けるまで

慰霊碑や遺骨に手を合わせる時、いつも同じことを思う。「みんなのところに行けるまで、もう少しだけ頑張るから見ててね。もう少しだけ待っててね」 それは伝えたい言葉であると同時に、自分を支えるために言葉でもある。あの子たちに会えるように、もう少しだけ。それを笑顔で伝えられる時もあれば、泣きそうなときもある。 あとどれくらいで、会いに行けるのかな。私はあとどれくらいここにいるのかな。 生かしてもらった命を大切にしなきゃいけないのは重々承知している。それも今の私の生きる意味だ。わ

    • 幸せかな どうかな

      前にも書いた気がするけど、また書きたいので書きます。 NHKの番組で、自分の家のペットを紹介する「うちにはこんなのがいます」という曲があった。1分ちょっとの短い曲なのだけど、私はこの曲を聞くといつも泣きそうになる。 歌詞の「うちでのくらしは 幸せかな どうかな」という部分で、私は毎回息が詰まる。うちに来てくれた子たちは、私と関わってくれた子たちは幸せだったかな?幸せでいてくれてるかな?幸せだったらいいなといつも願う。 答えを知るのはとても難しい。それでも私は、普段から多

      • 鮮明に描ける妄想

        不安が強い人間なので、とにかく悪い未来を想像してしまう。仕事にしても日常生活にしても、自分が避けたい未来を想像して動けなくなる。 別にそうしたいわけではないし、そうなってほしいわけでもない。ただ無意識に、瞬間的に頭の中で作り上げる未来は、大抵よくないものなのだ。 いい未来も想像できる。これもやろうと思えばいくらでもできる。でもこれは無意識じゃない。これがこうだったら、としっかり自分で意識して作る。 私は本も漫画もたくさん読んできたからなのか、多分想像がすごくリアルなんだ

        • 与えてもらうだけではなくて、なりたいと思った。

          十年以上好きなアーティストがいる。ずっとずっと大好きで、これからもたぶんずっと好きだと思う。妹も好きで、新しい曲が出る話をするし一緒にライブにも行く。好きなものを誰かと一緒に楽しめるのは幸せだと思う。 ふと、好きな曲の話になった。私はその時妹が好きだと言った曲を、すごく意外だと思った。 彼女は私とは正反対の性格といってもいいと思う。フットワークが軽くて、動くときに余計な思考を挟まない。困っている人がいたら考えるより先に手を差し伸べている。そういうことが、できる人間。 シ

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          天使を集めて並べてみたい

          犬の動画を見ている時に、外国の人が犬を見て「My sweet angel!!」と可愛いがっているのを見て、国籍問わずこういう時に「天使」という言葉が出てくるんだなぁと思った。 使われ方としては多分、かわいいとか愛しいの最上級だと思う。そういう気持ちがあふれるときに、人は「天使」という言葉を使う。 不思議だなぁと思う。人は、天使を見たことがない。私たちがイメージする(共通の認識にあると思われる)天使とは、想像して創造したものだ。本当に存在するかしないかはさておき、日常的に会

          天使を集めて並べてみたい

          バカな頃の私は強かった

          年を重ねて、耐えられないものが多くなった。忍耐力は多少ある人間だと思うけど、昔と比べると耐えられないものがすごく増えた気がする。 例えば、見られないアニメや漫画、映画が増えた。どんなに名作だと言われていても、つらくて見られないもの避けるものが多くなった。 見たくない描写が増えて、その映像に耐えられなくなった。暴力とか、理不尽な痛み、ツラい悲しい苦しいの感情、強い言葉、エトセトラ。たとえ作り話であったとしても、そういうものには触れたくない。 昔は平気だった。多方面の刺激に

          バカな頃の私は強かった

          「なんでずっと笑っているの」に凍りついた

          最近、仲良しの先輩方とそのお子さんと遊びに行く機会があった。 正直子供はあまり得意ではない。怖い。ただただ怖い。一緒にいるといろんな意味で不安になる。そもそも人見知る(私が)。 だけれども一応赤ちゃんの頃から知っているし、数回あったことあるし、他の大人もいるし、大丈夫どうにかなると自分を鼓舞して遊びに行った。 私をよく知る先輩方は私の緊張に気づいていたかもしれない。けど、最初はぎこちないながらもそれなりにうまく接することができていたと思う。 少しずつ慣れてみんなで遊ん

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          「必要とし、必要とされる」を見つける

          どんな人でも、「その人がいないと世界が終わる」なんてことはない。 もちろん赤ちゃんとか幼い子供は、育ててくれる人がいないと生きていけない。でもそれは「誰かがいないといけない」だけであって、「特定の1人にしかできない」わけではない。 誰しもが、言ってしまえばこの世界にとって「いなくてもいい」「いなくなってもいい」存在だ。 そんなことはわかっている。理屈ではわかっている。誰だっていなくてもいい。でも最近はずっとその言葉で自分を傷つけている気がする。 始めは、自分を許すため

          「必要とし、必要とされる」を見つける

          筋トレに目覚めたいかもしれない

          一昨日、またカギを忘れた。片道1時間ちょっとかかる実家のカギを忘れて実家に帰った。電車を降りて、バスに乗って、気づいた。バカすぎて泣きたかった。 中に入ることはできないけど、とりあえず家の前まで行ってみた。玄関の前は膝の高さくらいまで雪が積もっていて、まずドアにたどり着けなかった。郵便屋さんが何とか歩いた足跡をたどろうとしたのだけど、それすらももう雪をかぶっていた。 あまりにもひどいので、雪かきだけして帰ることにした。膝まで埋もれながらスコップを取りに行き、そこから一時間

          筋トレに目覚めたいかもしれない

          迷うという自由を選ぶ

          前職を辞めて2回目のお正月を迎えた。もう2回目?とも、まだ2回目?とも思った。変わらず前職の人たちと仲良くさせてもらっているのと、今の職で何も考えずに仕事をしているのとで、時間の感覚がよくわかんなくなっている。 最近また前職について考える機会があった。私は今の仕事を「次のステップまでのつなぎ」と考えているので、思い入れはないし使うエネルギーも最小限にしている。対して前職は「長年の目標」であり、当時の私の時間とエネルギーのほぼすべてを使うものだった。 辞めなければよかったと

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          過去に傷つかない 未来を怖がらない

          犬は本当にすごい生き物だなぁとことあるごとに感じる。たぶん私の場合犬から感じやすいというだけで、きっと人間以外の生き物すべてが持っている力にすごさを感じている。 彼らはまず、過去に傷ついたりしない。過去のつらかったことをわざわざ思い出さない。「なんであんなことしちゃったんだろう」とか、まして「あの時のほうがよかった」なんて思うこともない。 そして、未来を怖がりすぎることもない。もちろん学習はするから嫌な思いをすれば避けるようになるし、ネガティブな反応をすることもある。でも

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          嫌いで嫌いで嫌いで、だから好きが必要で

          自分のことが嫌でしょうがなくなる時がある。これも定期的にやってくる波のようなものなのだけど、大きい波の時は結構しんどい。 ここが嫌だ、なんてレベルじゃなくて、もう何もかもが嫌になる。外見も、内面も、思考も、とにかく自分の何もかもが嫌。受け入れられない。いつもではないけど、そういう時が私は結構ある。 心に余裕がなかったり、大きな不安に押しつぶされてるときなのだろうな、というのは何となくわかっている。おいしいものを食べて、お風呂に入ってしっかり寝れば、少しずつ回復していくんだ

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          手の届かない場所は絶対にある

          前職を辞めた大きな理由の一つに、「目の前に大切なものがあるのに何もできない」ということがあった。自分にできることが、してあげたいことが、強い気持ちがあったのに、立場上ほとんど何もできなかった。それがとてもとても苦しかったことを、最近思い出した。 もし私が望むことをできる状況だったとしても、100%すべてはできなかったと思う。それでも、あそこまで辛くはなかった。気持ちを、思いを押さえつけて大切なものと向き合うのは、私には辛すぎた。 全てを傷つけないようにとか、全てを幸せにす

          手の届かない場所は絶対にある

          光源に消されないように

          この世界にはまぶしいものが本当に多いな、と感じる。性格もあると思うけど、私にとってこの世界は、少しまぶしすぎる時がある。 明るすぎてまぶしいはもちろん、きらきら過ぎていく時間とか、誰かの強い気持ちだったりとか。まぶしさは形じゃないから、目に見えないところにもたくさんある。 私は、光るものって大きく2種類あるんじゃないかと思っている。一つは、光を反射して光るもの。もう一つは、自らが光源となるもの。 例えば、私はスーパーで売ってる旬の果物なんかを見ると、生き生きとしていてき

          光源に消されないように

          視野を広げるもの

          久々に、お散歩がてらカメラを持って外に出た。少しずつ秋も深まってきて、天気も良かったから楽しかった。 カメラを持つと、視野が広がるなと思う。何度か歩いたことのある道でも、立ち止まって見たら少し違って見えたり、角度を変えたりレンズを通すと違う見え方をしたりする。 私は基本的に、何事においてもすごく視野の狭い人間なので、この「視野を広げる」ということは本当に大切だよなと思う。考え方にしても、物理的な見え方にしても。 もちろん、一つのことに集中するのだって必要なことだと思う。

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          叶うかどうかではなく

          昨日久しぶりに、やりたいことリストを沢山追加した。いつからかたまに書くようになったそれを数えてみると、200を超えていた。 実現可能性がほぼ0のものから、今日中にできるようなものまで、とにかくその時思いついたやりたいこと、叶えたいことを書く。書いた後に読み返してみて、できたもの叶ったものにはチェックをつける。 なかには、絶対叶わないものもある。でもきっと、少なくとも今の私にとっては、「全部を実現すること」だけが大切ではないのかなと思った。 だって、数を数えて思わず笑って

          叶うかどうかではなく