姉が離婚しました

*この記事には性被害に関する内容があります。フラッシュバック等症状のある方はご留意ください。

僕には異父兄弟の姉がいる。
見た目は日本人だが、ちょっぴり日本語が下手くそな姉ちゃんだ。
突然LINEで告げられた。

「離婚することになりました。」

子供3人もいてさ!
離婚するなんて自己中心的じゃん。子供のことちゃんと考えなよ!
子供たちはアメリカで教育受けてきてさ、日本語もわからないのに、来週から日本の学校入れることになった?
姉ちゃんもフィリピンで育ったわけだし、日本語もそんな得意じゃないじゃん!

弟の僕が何度も説得を繰り返したけど、叶わず、結局姉は子供3人を引き連れて実家に帰ることになった。

ーーー午前2時、お酒を交わしながら僕は姉に事の真相を尋ねてみた。

私ね、、
自分が一番わかってるの。
自己中心的な行動をしたこと。
きっと今頃ママ友の間では私は無責任な母親として噂が広まってると思う。
それも理解しているの。
でもね、もういいの。

おもむろに姉ちゃんは語った。

結婚生活14年。ううん、人生生まれてから今まで私はずっと我慢してきたの。
私さえ黙っていれば、誰も困らないし、みんなが幸せになれるから。
私さえ我慢して黙っていればいいって、そうずっと思ってきたの。

元旦那は、恋人としてはよかった。
結婚してからはまるで人が変わったようだった。
育児ネグレクト、自分で飼い始めた犬も放置、家事も一切せず、仕事から帰ってきても無言でお酒かゲーム。
声をかけても無視。
お金をもらったことなんて1度もなかった。
仕方ないから日中はアルバイトをして、子供3人の面倒もみて、犬の糞を片付ける毎日で、けどだんだん追いつかなくなって、家中荒れ放題。
しまいには元旦那に「女としてお前を見れない。」という言葉も突きつけられた。

我慢の限界が来ちゃったの。
今実家に帰ってきて、やっとゆっくり心を休めることができた。
やっと落ち着いて寝ることができるようになった。
やっとね。

姉は1年前、胃が捻じてしまい、緊急手術・入院をしていた。
この時も姉は母親と僕に心配はかけたくないと事後報告だった。
原因は不明と医者から言われてたが、今考えたらそれも日々のストレスのせいだったのかもしれない。

じゃあ、仕方ない。僕は日本の大学を卒業しているし、日本語ネイティブだから僕が子供たちに日本語を教えるよ。姉ちゃん日本語下手だしね。

・・・でさ、、あのさ、、ずっとちゃんと聞けてなかったんだけどさ、、そもそもなんでフィリピンにいくことになったの?そんでなんで日本に戻ってきたの?

私ね・・・本当はお母さんと2人だけの一生の秘密にしようとしてたけど。
私ね、人生で2回レイプの被害にあってるの。
1回目は4歳の時、それでフィリピンに行く事に。
2回目は18歳の時、それで日本に戻ってくることになったの。

姉は自分の身に何があったのか話してくれた。

ーーー当時、フィリピン人の母親は、日本に出稼ぎにきていた。
興行ビザで来日、外国人専門の芸能プロダクションでマネジメント業をしており、タレントの手配やショーの調整をしていた。
偶然バーで知り合った男と出会い、交際を開始、めでたく結婚、子供を授かった。僕の姉だ。

最初は順風満帆かと思われたが、結婚して程なくして、姑が何度も家に訪ねてくるようになった。
おそらく1人息子を溺愛していたのであろう、姑は母親にお節介をするようになった。
作った料理を「自分の息子はこんなもの食べない!」と捨て、「掃除ができていない!」等、母親を品定めするような行動を繰り返した挙句、「お前は息子にふさわしくない!この家から出ていけ」と吐き捨てた。母親のお金で借りている部屋にも関わらずだ。

さすがに我慢の限界だった母親は「ご存知ないようだけど、この部屋は私が毎日働いて稼いだお金で借りているところなの。私はあなたと結婚したわけじゃない。お願いだからあなたがこの場所から消えて!!」
その日を境に、姑は家に来なくなった。

しかしあろうことか、当時の旦那も家に帰ってこなくなったのだ。そして電話でこう言い放った。

「どうして僕のお母さんをいじめたんだ!!」

母親の言い分も聞かず、姑の味方をしたのだ。

程なくして母親は離婚を切り出した。
理由はこれだけじゃない、旦那は母親が仕事でいないタイミングを見計らって、自分たちの家にこっそり女を連れ込んでは逢瀬を重ねていたことを知っていたのだ。

ーーー母親は異国の地で1人で姉を育てることにした。

しかし、彼らに平穏は訪れることはなかった。

当時フィリピンの遠い親戚2人が、職を探しているということで、母親が善意で自分が働く会社に融通を利かせ2人を雇わせ、お世話をすることにした。

もちろん母親はその親戚2人を信頼しており、たまに仕事が忙しい時は姉を預けることもあった。
しかし、預けた日に姉の姿を見ると、身体が汚れていることに気づくことになる。

その親戚男2人は夜な夜な当時4歳だった姉を強姦していたのだ。
母親は即刻警察に通報しフィリピンに送り返すことにした。
これは後から知ったことだが彼ら2人は日常的に麻薬を摂取していた麻薬中毒者だった。

母親はもう誰も信用することはできないと、姉を保育園に預けることにした。
もう安心だろう。
ただただ平穏な暮らしを願っていた母親だったが、またしても事件が起きてしまった。

とある日、姉を迎えにいった際に、姉はもうここにはいないと保育士に告げられたのだ。
「えっと、、お父様がお迎えにいらっしゃいましたよ。」

母親は焦った。元旦那だ。娘を取られた。

急いで元旦那の実家に向かった。
あのうざったい姑と元旦那と取っ組み合いの喧嘩になった。
「お前にその子は育てられないだろう!!」
姑の怒号が聞こえた。
母親は彼らを突き飛ばし、強引に姉を奪い返した。
その日のうちに急いで飛行機のチケットを取りフィリピンに帰国した。

「もう娘は日本で育てられない。ごめんね。。本当にごめんなさい。。」
そう母親は何度も何度も悔やんだが姉をフィリピンにいる自分の母親と妹に預け、また日本に戻り、娘のために働き続けたのだ。

ーーー僕は絶句し、気づいたら涙が流れてた。
・・・それで、、私が日本に戻ってきた理由はね、、、姉はぶるぶる手を震わせ、涙を流しながら話してくれた。

姉はその後、いろんな苦労はあったものの母親の妹にあたる叔母と祖母と多くの親戚に囲まれて、すくすくとフィリピンで育った。
特に叔母は、第2の母として慕っていた。18歳になると、安定した職につきたいと、看護士を目指してフィリピンの大学に通うことに決めた。

しかし大学の費用は高く、母親の仕送りだけでは足りなかった。
観光ガイドのアルバイトを当時頑張っていたが学費の足しにはならず、困っていた。

そんな時にある男から話を持ちかけられる。
「簡単なお仕事で大学の費用を負担してやろう。」
その男は叔父で、第2の母として慕っている叔母の旦那だった。
叔父は地元でも有名な億万長者で、恵まれない子供の援助、教会に多額の寄付を行い、周りから救世主として崇められているような人物だった。
信頼を寄せていた姉はもちろんその仕事を引き受けることにした。

しかし、その仕事は姉が想像しているものとは違った。

ある日、下校中に黒い車が近づいてきた。
「お前の叔父の使いのものだ。仕事だ。車に乗れ。」と声をかけられた。
なんで下校中に?と思ったが、車にのりそのままについていくと、そこは仲良くしている別の親戚の家だった。
奥の暗い部屋に連れて行かれると、そこには裸姿の叔父がいた。

そう、仕事の内容は叔父の性処理だった。
姉に性行為を強要したのだ。
抵抗できなかった。
学校に通えなくなる。断ったら叔母にも母親にも迷惑をかけてしまう。
姉はそう思った。
そのまま叔父の要求を飲むしかなかった。

それは毎週繰り返し、、繰り返し、、卒業までの2年間続いた。
犯されている間は
「あの女はもっとこういうことができた」
「あの時の女はこういう風にできる」
と自慢げに買春を繰り返していることを語っていたという。

とある日、いつものように"お仕事"をしていると、下の階から声が聞こえてきた。
それは第2の母として慕っている叔母や大好きな親戚たちだった。
そう、彼らは知っていたのだ。
何が部屋で行われているかを。

これで大学に卒業できる。
卒業できればお母さんも幸せ。
黙っていればいい。私さえ黙っていればみんな幸せになれる。私さえ我慢していれば。
それで幸せに。

ーーー20才になると二重国籍の場合どちらかの国籍を選ぶことができる最後のチャンスとなる。
姉は無事大学を卒業することができたが、母親に電話越しに伝えた。
「私、日本国籍になりたい。フィリピンより日本がいい。」
母親はびっくりした。大学も卒業したし、15年もフィリピンに住んでいまさら日本に帰りたいだなんて!
「もう大きくなったし、私と一緒暮らそうか。一緒にいられなかった15年を取り戻そう。」
母親は姉を日本に連れ帰ることにした。

母親が叔父の蛮行を知ったのは、日本国籍に完全に切り替わってしばらくのことだった。

すべてを知った母親は怒り狂い親戚全員を問い詰め、何ヶ月も口論が続いたそうだ。

しかし残念なことに母親と姉の味方をしてくれる人はいなかった。

母親が十分な仕送りができていなかったこと、姉が当時お金を受け取っていたことや、親戚ほぼ全員が億万長者の叔父から仕事やお金の恩恵を受けていたために、歯向かえる人がいなかったのだ。

これは後から知ったことだが叔母や叔父の娘たちも日常的にDVを受けており、叔父の絶対権力に逆らえないのだ。
それは2024年のいまもなお続いているという噂もある。
今もなお、叔父は絶対権力を振りかざし、周りからは崇められている裏で、親族を含めた買春が続けられ、黙認され続けているのだ。

今更裁判をするにも証拠がなく、問い詰めるも叔母も叔父も沈黙を貫いている。
お金欲しさにくだらない嘘で救世主を陥れようとしていると姉を嘘つき呼ばわりし擁護する声まである。

姉は母親に言った。
「もういいの。ごめんなさい、話したのが間違いだった。私さえ黙っていれば、みんな幸せだったのに。もうやめてお母さん。もういいの。大好きな叔母とお母さんと争わせたくもないの。忘れたいの。ごめんなさい。」

姉はPTSDを患い、フラッシュバックが度々起きてしまい、今でも暗闇と無音の状態では眠ることができない。

その後、日本国籍を選択した姉は、20歳になって初めて、日本語を1から学び、飲食店のアルバイトを頑張っていた。
たまたまクラブで出会ったアメリカ人の旦那と出会い、結婚、子供3人にも恵まれたが、、、14年の結婚生活に終止符を打つこととなった。

私ね、人生ではじめてなの、我慢をやめたのは。黙っていればみんな幸せって思ってたけど、違う。私は幸せじゃない。
こうでもしないと自分が壊れてしまうし、子供たちも守れなくなる。私が人生ではじめて自分の意思で決めた正しい選択なの。

ーーー悔しさ・苦しみ・憎しみいろんな感情が僕の中でぐちゃぐちゃになってわんわんと泣いてしまった。

ひどいよ、、あまりにもひどいよ、、なんでそんな悪い人たちが今も野放しになって平然と生きているのか分からないよ、、、姉ちゃん、日本で生きよう。

次の世代は絶対に幸せにしてあげようよ。
また、1からがんばろう。きっと大丈夫だから。


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