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お茶代課題2月ヒョーロン部門『J-POPまもるくんの謎』

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 脱輪さんが主催する文芸サークル"お茶代"の2月の課題に挑戦しました。
 テーマは「守る」歌詞。
 今回私は主に「守る/守りたい」というラブソングを想定して記事を書いています。

問いは2つ
①男女同権や多様性が叫ばれるようになった現在でも、J-POP的な言語感覚が浸透しきった日本のポップカルチャー分野において「守る」は恋心のカジュアルな表現としていまだ不動の地位にあり、
②それでいて、具体的になにから/なぜ守る必要があるのかについては問われることがない。
なぜ?


 この二つの問いに明確さを持って答えられるか正直自信はない。「守る/守りたい」という歌詞のラブソングは確かに多数あり、それぞれ意味は異なるだろう。
 ただ一般認識として「守る/守りたい」という歌が主にヘテロセクシュアルの男性から女性に対するメッセージとして歌われることが多いだろうという想定はできる。
「守る」という言葉は愛情表現としても使われるが、一方で非常に管理的な、束縛的な言葉でもある。「保護」という意味を併せ持つ以上、守「られる」側が主体になりづらい言葉だ。
「守る/守りたい」ラブソングに関するSNSでの脱輪さんとのやり取りの中で私は「両者にとって都合の良い(居心地の良い)束縛関係を約束する」という意味の回答をした。ある種、薄められた暴力である。強い恋心や愛情といったある意味やり場のない感情はその強さゆえに暴力的な感情や願望も生むと私は考えている。嫉妬をしたり、そばにいないと不安になったり、本当に相手が自分のことを好きなのか気になったり、そうなると行動を制限したくなったり、こまめに連絡をしたくなったり、スマホのGPS機能を使いたくなったりする。
 こうした負の側面を併せ持つ感情をロマンチックにまとめ上げ、相手にとっても良いことをしている感覚になれそうなものが「守る/守りたい」ではないだろうか。受けてにしたって、全く束縛されないという関係性は淡白すぎる、という人もたくさんいると思うので、この「守る/守りたい」は両者にとってとても都合が良いはずだ。
 ただ「守る/守りたい」に含まれた暴力性は消えることはないと思う。薄めらているからこそ恋する私たちは夢中になれるけれど、コントラストを強くしていけば束縛であることに間違いはないのだから。

 さて次は、歌詞に「守りたい」が入っていて尚且つ私の好きな歌で、尚且つ力関係が面白そうな歌があるので、その話をしたい。

等身大になるために「守りたい」ラブソングという展開


『花明り』という歌がある。

『花明り』

見つめてる
見つめてよ
君のことだけ もっと
知りたい

そばにいて
行かないで
今のことだけ ずっと
聞きたい

僕はいつか
無くしてしまうかな
それとも 消えていくのかな
花明り

届きたい
忘れない
きれいな言葉だけ
並べてもいい
憶えていて ほしいんだ
今を

怒っても
わめいても
愛のことだけ もっと
知りたい

泣いていい
弱くていい
どんな時だって きっと
守りたい

君はいつか
笑ってくれるかな
花言葉も うわの空で
月明り

知ってるよ
何もかも
最後は空へと
還るまでだろ ねえ
憶えていたいんだ
今を

知ってるよ
何もかも
きれいなだけじゃ
いられなくても いい
憶えていて

届きたい 忘れない
きれいな言葉だけ
並べても いい
憶えていて
痛いんだ 胸が


 さて、この歌を作ったCoccoは情熱的なラブソングを多数作ってきたが、彼女が歌の中で愛の対象としているものは必ずしも男性では、人間では、ない。
 彼女の生まれ故郷、沖縄そのものに対する激しい感情が歌われていることが多々ある。「もくまおう」という歌の中にも「守る」という言葉が出てくるが、歌詞全体を見る限りこの歌は、人間の恋愛と沖縄そのものに対する感情を被せて作ってある。
「花明り」での一人称は「僕」、二人称は「君」で、男性から女性に対する歌に見えやすいと思うが、先ほどまでの前例があるからなのか、はたまた私が完全なヘテロセクシュアルではないからか、例え一人称が「僕」でも「男性から女性へのラブソング」だけとして読み取らない場合、つまり、歌に対して想定する物語が常にシスヘテロの男女とは限らない、ということが私には起こる。
 おそらくこんな受け取り方をする聞き手というのは少数派かもしれないが。
 前置きが長いのだが、つまるところ私が言いたいのは「人称代名詞に意味付けされた性差に関わりなくラブソングを聞いている人間がいる」ということだ。
 こうなってくると「守る/守られる」に関する男女の不均衡と少しずれてしまうので、「そういう力学を想定してラブソングを聞いている人もいるんだな」みたいなことを一度インプットいただけるとありがたい。
本題の歌について。
 曲自体はアコースティックギターがメインで耳への当たりが柔らかい音だと思う。
 歌詞からイメージしたものは「距離」だった。
「僕」は「君」に想いを募らせている。けれど安心感を持っていつも近くにいられるような心持ちではない。「僕はいつか失くしてしまうかな、それとも消えていくのかな」、「知ってるよ、なにもかも最後は空へと還るまでだろ?」という部分から私はそういった「僕」と「君」の距離を受け取る。この距離に対して募る思慕「届きたい、忘れない、きれいな言葉だけ並べてもいい、憶えていて、ほしいんだ、今を」
 これは「きれいな言葉しか並べざるを得ない状況」に対して「そのままでいい」と言ってみせる事で相手を受け入れたがる姿勢ではないだろうか。
また、後半は文節の区切り方で「(君に)今この瞬間を憶えていてね」と「(僕は)今というものが欲しい」という二重の意味を受け取ることができる。前者に比べ後者はよりドメスティックというか、直接的な、切羽詰まったような感覚を出している。
 これらの距離を意識したまま二番へ進んでみよう。
「怒ってもわめいても愛のことだけ知りたい。泣いていい弱くていいどんな時だってきっと守りたい」
ここで初めて「守りたい」が出てくるが、この言葉は歌の中で一度しか使われない。続いて「君はいつか笑ってくれるかな、花言葉も上の空で、月明り」
 君と僕はたぶん、遠いのだ。物理的な距離というよりは「僕」が「君」に対して何か届かない距離、触れることが、近づくことがなかなか難しい。「僕」から見た「君」はたぶん、何かに傷ついて生きている。だから月明かりのなか、花言葉にも上の空なのだろう。
 物理的な距離では測れない「君」への距離とその思慕の中、力関係として「僕」の立場は「僕」の視点である限り「君」に及んでいない。この、及んでいないということがこの歌では下敷きにされていると思う。
 脱輪さんが指摘したとおり、平等性を考えるならこの歌においても「守りたい」はある意味不釣り合いだ。前述の通り「僕」は「君」に遠いし、歌詞を通してずっとやるせなくて悲しそうなのは「僕」だ。高低で表すなら「僕」は「君」より低い。
 私が考えたのは、及ばないからこそ、低いからこそ「守りたい」という強い言葉(薄められた暴力の意味において)を持ってきて「君」に並ぼうとしているのではないか、ということだ。高いところにジャンプするときに力んだり、何か気合いをいれたくなったり、そんな時にわざと強い言葉のイメージをするという経験はないだろうか。そういうものは言葉の直訳の意味よりも、呪文としての意味に近いかもしれない。私は『花明り』の「守りたい」からはそんな、呪文としての、願いとしての意味を汲み取っている。
 強い言葉を使いでもしなければどうにもできない気持ち、状態があるということ。届きたい。対等になりたいという願いに対して。束縛的な意味を併せ持つ言葉をぶつけることによって表しているように思う。
 元々私は不均衡をぶつけ合わせるような言葉の使い方がとても好きなので、そんな読みをするのかもしれないが。

 ただ、自分の好きな歌やラブソングの「守る/守りたい」に関して一ヶ月も考えたり書いたりする機会はなかなか無かったのですごく身になりました。
脱輪さんありがとうございました。


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