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トルコの人々から教えてもらった大切なこと

#わたしの旅行記と聞いて、まっさきに思いだした旅がある。2014年にトルコへ1人旅をしたときのことだ。

私は当時大学4年生で4月からは就職を控えていた。

この先、長期旅行に行けることはなかなかないだろうと思い、約1ヶ月間、 トルコとヨーロッパ数カ国の周遊旅行を計画していた。

そして、このときのトルコでの経験は、私にとってその後もずっと忘れることのできない経験となった。

実は旅行にでる約3ヶ月前に、 日本の女子大生がトルコの主要観光地の1つであるカッパドキアで殺害されるという悲しい事件が起きていた。
卒業旅行でトルコを訪れ、カッパドキアを回っていた時の出来事だという。

更に、旅行の1ヶ月前には、 エクアドルを新婚旅行で訪れていた日本人夫婦が現地の人に襲われ殺害されたという事件も起きていた。

「自分にも万が一のことがあったらどうしよう。そもそも旅行に行くことも諦めた方がいいのではないか。」

何日も何日も、この旅行を決行するか悩んだのだった。

不安な気持ちを抱えながらも、私は出発した。
イスタンブールに空港に到着。

しかし、この時期の日本人が珍しいのか、私が1人で歩いていたからか、 すれ違う人達皆からジロジロと見られている気がした。怖くて怖くて仕方がなかった。私は足早に空港を抜けて、すぐさまホテルへ向かう電車に乗った。

ホテルの最寄り駅に着いたのは20時頃だっただろうか。

市内中心部に近かったので、街やお店の灯りも多く、人の流れもそれなりにあった。右手にはホテルの住所と電話番号が書かれた紙、 左手には巨大なスーツケースを持ち、 私は住所にならって、 路地裏の暗い道へと入っていった。

路地裏の道はとても暗く、空き地がたくさんあり、少し不気味な雰囲気だった。坂道をしばらく登っていると、後ろから1台のバイクが近づいてくる音がした。

車通りも人通りもない中、 その音だけがブーンブーンと背後から響いてくる。 そしてはっと気がついたら、私の真横でそのバイクが止まったのだ。

「やあ、重そうな荷物だね。どこのホテルまで行くんだい。」

バイクに乗っていた若そうなお兄さんが英語で話しかけてきた。

私は「万が一のことがあったら」という考えが一瞬頭をよぎったが、
「まあでも、多分大丈夫だろう」と思い、ホテルの住所が書かれた紙を彼に見せてしまった。


「あ〜ここね。オッケーオッケー!!」

そういった次の瞬間、 彼は急にバイクを発進させたと同時に、なんと私の手からスーツケースを奪ったのだ。そして片手でスーツケースを引きながら、 バイクを走らせて行ってしまった。

それは、あまりにも一瞬の出来事で、私はお兄さんを止めることすらできなかった。

「え、私のスーツケースもしかして盗まれた??」

簡単にお兄さんを信じてしまった自分を後悔した。

「こんなことある?帰ってみんなになんて言ったらいいんだろう。」

もう泣きたくなった。

「何のために半年間バイト代を必死に稼いできたのだろう。みんなにも丁寧に見送ってもらって、勇気を出してここまで来たのに。」

そんなことを考えながらも歩いていると、300メートルほど先にさっきのお兄さんが見えた。お兄さんはバイクを止めて、 とある建物の前で見知らぬおじさんと話していた。

そしてよく見ると私のスーツケースも近くに置いてあるではないか。

「まさか。そういうこと?? 」

私はその建物に向かって行った。 お兄さんが途中で私に気づいて手を振ってくれた。

「今日のホテルはここだよ!彼はここのオーナーで僕の知り合いなんだ。」と、嬉しそうに言った。

「なんだ。疑っちゃったけど、親切心でホテルまで荷物を運んでくれただけだったんだ。」

オーナーのおじさんが、 ホテルの中へ案内してくれようとした。するとお兄さんは「じゃあね」 と言ってまたバイクを走らせて行った。

「本当に純粋な親切心でやってくれたのか。いい人でよかった。」

おじさんに案内されて部屋に到着した。私はフライトの疲れと、 無事にホテルに着いた安心感が一気に押し寄せ、 すぐ眠りについたのだった。


2日目はイスタンブール市内の観光だった。よく晴れた日で、観光には最高の天気だった。

私は市内中心部を1人で歩いていたのだが、実際には1人の瞬間がないほど、 ずっと現地の人たちが私に話しかけてきた。

遠くから挨拶してくる人、隣を歩いてきて声をかけてくる人、とにかくみな、とびきりの笑顔で私に楽しそうに話かけてきた。

普段なら私も気さくに会話をとるのだが、本当にこの人達を信じて良いのかどうか、まだわからなかった。

仲良くなったのを良いことに、殺害された卒業生のようになってしまうのではないか。そんな疑いがずっと消えなかった。

とある若い男性が私に話しかけてきた。

「ハイ。君これからどこに行くんだい。一緒に観光しようよ!僕案内できるよ。名前教えてよ!」

私は自分の名前を伝えた。

「一緒に観光しようよ!どこに行きたい??」

そんな会話のやりとりだったが、 私はさっきの疑いの気持ちから、 仲良くなってはいけないと一方的にガードを張り、とても無愛想な返事をした。
しかしその男性は、私の反応は気にもとめず元気に話し続ける。

そしてしばらくしてから、ハッと何かに気づき、 そして急に暗い面持ちになった。

真冬の昼下がり。カラッとした青空。イスタンブールの人気観光地の一つである地下宮殿のすぐそばだ。多くの人たちが行き交う道端で、彼はこう続けた。

「もしかして、この間の日本人女性が殺害された事件のことを気にしているのかい?」

「え??」
そんなにストレートに聞かれると思っていなかった私はかなり動揺した。

彼には少し申し訳なかったが「そうだよ。」 と伝えた。

その瞬間、彼は急に泣き出しそうなくらい悲しい表情になった。 そしてこう続けた。

「本当にごめん、本当にごめんね。 僕たちの大好きな日本人があんな悲惨な目にあってしまって。 過去数十年の中で国内でもあんなにひどい事件は起きたことがないんだ。 それが僕らの大切な日本人がそうなってしまって。」

「トルコの人々はあの事件がショックでしばらくみな外に出られなかったんだよ。それくらい悲しかったんだ。この街も全然人が歩いていなかった。 本当なんだ。 僕らは本当に日本人が大好きで、大好きだから話したいんだ。 でも怖い思いをさせてしまって本当にごめんね。」

もう彼の言葉や表情や声が、本当に全てを物語っていた。

「こんなにあの事件のこと思ってくれていたんだ。 日本人以上に日本人のことを大事に思ってくれていたんだ。」

私はまたもや、少しでも疑ってしまった自分を後悔した。

そして、その次の日に、殺害事件が起きたカッパドキアで観光ツアーに参加したときにも、ガイドツアーの方が彼と全く同じことを言っていたのだった。

私は、この数日間のトルコ旅行を通じて、トルコの人たちが本当に親日家で、 そして、いかにその事件がトルコの人達にショックを与えたのかがよく分かった。

同時に、自分がいかにメディアの情報を鵜呑みにしていたのかよくわかった。普段から自分で実際に情報を確かめもせずに、疑うこともせずに、生活していたことを恥ずかしいと思った。

テクノロジーが発達した今。 写真でも、テレビでも、オンラインでも、旅した気分をなんとなく味わうことができるようになった。だけれども、それはやはり生の経験にはかなわない。

私が考える旅の醍醐味とはまさにこういうことだ。 全身をフル活動させて、その場所の空気や雰囲気や匂いを自分で感じること。 そしてそこで生活している人たちとの会話を通して、リアルに自分の感情が揺さぶられるのを感じることだ。

実はこの旅に出発する2日前、とある夢を見た。それは数年前に亡くなった祖母が出てきて、 それはそれは優しい温かい笑顔で笑っている夢だった。

私は起きた後もすごく優しい気持ちに包まれていたのと、 何か祖母が私に伝えたいことがあったのではないかと気になり、 夢占いで調べてみた。

すると、『亡くなった祖母が笑っている夢は吉夢で、 その本人のことを応援している、 本人の決断が間違ってないということ、問題が解決していくことを表している』と書いてあったのだ。

私はこれを読んで、「祖母もきっと私のこの旅行を応援してくれているんだ」 と思った。だから、悲しい事件があった直後ではあったけれど、最後の最後で行く決心がついたのだ。

今になってその夢の意味がわかった。この旅は、私にかけがえのない経験と学びを与えてくれたのだ。 祖母はきっとそれを分かっていたから、夢の中で背中を押してくれたのだ。

私はこの旅行で経験したこと、感じたことを決して忘れない。そして、自分のこれからの人生にきちんと活かしていくのだ。

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