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〜白血病闘病記〜

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2003年11月急性前骨髄球性白血病[APL/M3]を発症(当時20代)。2004年3月退院し、2年間の維持療法を経て完治。当時の思いを昇華させ、そして誰かに届くことを願って🕊️ … もっと読む
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白血病完治

あの日から15年の時を経て 2003年11月 急性前骨髄球性白血病(APL)と診断され 入院治療をしたあの日から 15年が過ぎ、もうすぐ16年 私は今もこうして生きている あの頃見えなかった 10年後、15年後、未来の自分 長かったけれど 過ぎてみたらあっという間だったのかな あの頃の 死の恐怖に脅えていた自分に 声をかけてあげられるなら 「大丈夫、心配しないで 必ず良くなるから安心して」 そう言って 優しく抱きしめてあげたい 一人、孤独の闇の中にいた自分

桜の時

大好きな桜の季節 白血病退院から4年経った2008年の春 定期検査の日がきた 病院へ向かう道中 感慨深い気持ちでいた まだ4年で完治とは呼べないのかもしれないけれど 自分の中ではもう絶対大丈夫と信じていた 出会いと別れ 卒業、入学、新生活 植物たちが色とりどりに芽吹いてくる この季節が好きだ 毎年、桜の季節になると思い出す 2004年白血病退院した日のこと 綺麗な桜吹雪を見たこと 緊急入院、転院、告知、怒涛の闘病生活 そしてDr.との日々を思い返していた******

白血病退院から 一年が経過した2005年頃 維持療法を続けていく中で 病気への不安は 心の大きな部分をしめていた 生存率や予後の数字の恐怖から 自分を救うためにどうしたらいいのか? 家族でもなかなか辛さを理解されず 孤独を感じていた ML(メーリングリスト)で 白血病の先輩患者さんから 鍵となる言葉をもらって もう病気のことから離れて 楽しいこと、好きなことをして 生きていこうと思った もう二度と病気にならないと信じて 入院中に使用していた物を整理した ほとんど

生存率

白血病退院から一年が経過した頃 同時期に入院していた人たちの 再入院や天国に旅立たれた便りが届いてきた 他人事ではなくて 大きなショックを受けた 自分は大丈夫なのか? これからも元気で生きていけるのだろうか? そんな不安がよぎる 不安を解消したくて情報を得ようと ネット検索をすると 「生存率」というシビアで残酷な数字が 突き刺さってくる 生存率、再発率…… 頭から離れず眠れない 恐怖に襲われた 色々調べていると 白血病の発症初期の白血球の数値が 再発率や予後

維持療法

白血病の維持療法が始まった 当初、3種類だったけど 抗がん剤の副作用がきつくて 薬を飲めなくなって 半年間でMTXの注射と6-MPの飲み薬は終わった マルクでも異常はなく それ以降は飲み薬の ベサノイドのみの維持療法となり 3か月に1回、2週間の飲み薬を 2年間続けることになった 退院後のマルクは腸骨からにしてもらった 通院している間に 少しずつ体力も回復してきた けど疲れやすく無理がきかなくて 風邪など引くと、なかなか治りづらかった しんどくなる度に再発の恐怖

退院後の生活

2004年3月下旬 白血病の入院治療が無事に終わり、退院した 最初はしんどくて 日常生活で疲れていたけれど 徐々に普通の生活を取り戻していった 4ヶ月ぶりの外界の生活は とても新鮮だった コンビニのお会計で店員さんと接するのも なんだかドキドキして浦島状態だった 「ウィッグがばれてないかな?」 「病人とわからないかな?」 と周りの視線が気になった 退院後のマルクで 悪い細胞は消えていて安心した マルクの検査結果を聞くときは 毎回ドキドキする 血液データも回復して

退院

入院から4ヶ月が経ち 桜が咲き始め 春の訪れを感じる 2004年の3月退院が決まった WBC 1600 Hb 6.9 PLT 7.2 まだデータが低くて、退院できないと思っていたけど、 Dr.から 「明日退院しますか?」 「これからデータは上がっていくから退院してもいいよ」 と言われ、急きょ退院することになった。 もう精神が限界になっていた。 クリーンルームから、なかなか出られなくて、「もう限界」とDr.に話したら、 「明日出れるようにします」 「本

地固め療法

無事に寛解となり 白血病の地固め療法が始まった 始まる前は 寛解導入の時の副作用の辛さやトラウマで ものすごく恐怖だったけど Dr.が吐き気止めを強めに入れてくれて 大丈夫だった クリーンの時は 何度かパニック症状が出たりして Dr.もできるだけ精神の負担がないように 考慮してくれた 抗がん剤の投与は 体の倦怠感や眠れなくてしんどかった 白血球が下がっている間は 口内炎、歯痛、歯肉炎などいろいろ炎症が起こり 38~39度台の熱が出たりと辛かった 病院にいると生死を強

白血病治療のトラウマ

外泊から戻ってきた クリーンルームのトラウマから PTSD、パニック発作のような症状が出て 「もう治療は無理だし止めたい」と言った 看護師さんからは 私のような感受性の強い患者さんは 看たことがことがなくてわからないから 別の専門家のいる病院に 転院した方がいいと思うと提案してきた すごくショックだった いつも明るく励ましてくれていた看護師さん でもやっぱり私の気持ち 白血病患者の精神的つらさは 理解されていなかったんだなと思った 治療も怖いし、死ぬのも怖い どこにも

外泊

白血病治療の入院生活も1ヶ月近くになり 退屈でストレスもMAXになってきた WBC 1000 Hb 7.8 PLT 13.4 (Day 24) 血液データはまだ回復していないけど 外泊の許可がでた 嬉しい! 久しぶりに自宅に帰れる! 心が弾んだ 病院の玄関の自動ドアが開いた瞬間 外からの冷たい風が頬に触れた 空気の匂い 頬に当たる風の感触 目の前に広がる、外の自由な世界に 1ヶ月ぶりに外の世界に出て こんなに素敵な世界に生きていたんだと

クリーンルーム

白血病の抗がん剤治療が始まった WBC 500 Hb 8.3 PLT 6.1 (Day 10) 1週間~10日後 治療の副作用の影響で 髪の毛が抜けるようになってきた ずっと恐れていたことが 現実となってしまった やっぱり自分は 白血病患者なんだなと実感して ショックだった 女性の私にとっては 抗がん剤の副作用の脱毛で 髪の毛が全て抜けてしまうことは すごく重要な問題だった 少しでもショックをやわらげたくて 母親にウィッグと帽子を買ってきて

治療開始

告知の翌日から 白血病の寛解導入療法が始まった WBC 12900 Hb 7.2 PLT 6.9 抗がん剤の副作用の説明を聞いて とても怖くなった 吐き気や脱毛、倦怠感があるとのこと 夕方から吐き気がきた 病院の食事は食べられず アイスを食べた 抗がん剤治療  2日目以降は ずっと船酔いのような感じで吐き気が続き  飲めず、食べられず 何度も嘔吐して苦しかった 本当に辛いよ、、 覚悟はしていたけど 想像より何倍もきつい こ

告知

怒涛のように変わっていく毎日 緊急入院から3日目 救急車で転院となり 何が何だかわからぬまま クリーンルーム(無菌室)に入室していた 点滴や輸血を入れるための 中心静脈カテーテル IVHの処置をした 右の鎖骨から縫われてすごく痛かった 初めてのクリーンルームは ビニールカーテンで囲まれている 閉鎖された空間で慣れなくて 眠れずにいた 翌朝 救急車のサイレンの音で目が覚めた 看護師さんに話すと 幻聴だったみたいだ、、、 WBC 19100 Hb 7.3 P

転院

歯茎から血の塊 出血が止まらない、、 何かがおかしい 入院2日目の夜 歯磨きをしていたら どろっとした血の塊が 口から流れ出てきた ティッシュで押さえても止まらず すぐに真っ赤に染まった 寒気がしてマフラーと上着を着た 部屋内の移動も辛くなり 入院した時より明らかに悪化している 熱が出ていて 看護師さんに座薬を入れられた 歯磨きはせず うがいだけにするように言われた どうしてこんなにしんどいのだろう? 熱も出て明らかにおかしい 不安と高熱で眠れず しんどさと