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時空から脱出するということ

あらためて、基本的な事なのですが、時空とは何なのかということを整理しておこうと思いました。そのためにはこの動画がわかりやすいなと思って、ひさしぶりに見てみました。

「時空からの脱出」ー点球次元とはー

ヌーソロジーサロンからの切り抜き動画ですが、この中で語られていることは一般的にはほとんど理解されていないことなのではないかと思います。

大事なことは、時空が触覚で定義されているものだということでしょう。目の前にあるバスケットボールが半径15センチであるということと、宇宙の果てまでの距離が138億光年であるということと、実は同じ事だということです。

ただ、宇宙はただ大きいだけで、構造的にはバスケットボールと同じで、そういう意味では宇宙も物であり、点球次元であるということになります。なので、幅(尺度)で世界を認識している限り、永遠に点球の中にいると言うことになるわけですね。

これが現代の科学的な視点でもあるわけです。科学的であるということは、点球の中だけですべてを理解しようとすると言うことなので、すべては物であり、そこに命は存在できません。ですから、現代科学が、すべては物であり、情報に過ぎないという結論に向かっているのも不思議ではありません。

その視点においては、私たち人間も尺度を持った肉体であり、広大な宇宙の中では取るに足りないちっぽけな存在に過ぎないということになるのだと言うことです。

しかし、ここでヌーソロジーが指摘しているのは、「見る」という行為は「触覚」とは次元が違うのだということです。

「見る者」は点球次元に存在しているのではないのだと言っています。「見る者」は3次元時空の外にいるということを示しているわけです。視線は4次元ですからね。

「見る」時には、「触覚次元」の一つ上の次元が関与しています。ですから、何かを見ているとき、その意識は「点球」の外にいて、それを「垂子」とヌーソロジーでは呼んでいます。

「視覚次元」と「触覚次元」との間に絶対的な差異があると言うことに気がつけているかどうか、それが大きな違いなんだよということです。

普通は広大な宇宙の中にちっぽけな地球があって、されにその上にいる蟻のような小さな存在が人間であると思っていませんか?

科学的な思考においてはそれは正しいという事になりますが、それこそが人間的ゲシュタルトであり、それがゆえに人間は真の宇宙をいつまでも理解できないでいるということでもあります。

わたしたちの意識は宇宙の中に存在しているのではなく、宇宙の外から宇宙を覗き見ている存在なのだと言うことですね。宇宙はわたしたちの内在であるという事の意味は、まさに文字通り、宇宙より私たちの意識の方がより高次だからです。

これ、感覚的にわかるでしょうか? たぶん、このことを理解することが、最初の一歩なのだと思うのです。

原初舞踏の中での基礎的な稽古のいくつかは、従来の空間に対する認知に変化を与えるという事に意味があるのだろうと思います。それゆえにうまく意識の反転が起こったときには、めくるめく空間体感があるのだろうと思います。

占星術においても、そのような宇宙の理解ができるかどうかは大事なことだと思っています。星を「見る」とき、その星は次元の違う存在ですが、また同時に自分の内在であるとも言えますね。人間は星でできているということと、ホロスコープが示すその人の情報には意味があると言うこととはたぶんつながっているのだとも思います。

そういう意味では星はわたしたち人間の記憶でもあるのでしょうね。踊るということは、そのような空間にアクセスすることでもあると思います。人間が太古の昔から踊ってきたということの意味も、きっとそのあたりにあるのではないでしょうか。

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