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ノーアスペクト~踊りの先生との出会い

いまちょうど、アスペクトの勉強をしていますが、講座の中でノーアスペクトについての説明を聞きました。

ノーアスペクトって!?

ノーアスペクトの天体の場合、その天体が何をしているのか、どういう働きがあるのか、本人的にはよくわからなくなるのだそうです。

たとえば、月がノーアスペクトの場合はすぐに反応できなくて、感情が遅れてやってくる感じだったり、、、

水星がノーアスペクトの場合、普段は無口の人であっても、アスペクトを持っている人を見つけたら、俄然すごく話しかけるということが起こるのだそうです。

接点を見つけた途端に、知覚、認知、識別の能力を高めようとして、衝動的にエネルギーが動くわけですね。

自分ひとりではできないことが、そのアスペクトを持っている人に出会った途端、このチャンス逃してなるものかとばかりに、発動するみたいなことが起こるわけで、それはほんとおもしろいと思います。

僕の土星はノーアスペクト?

今までずっと気づいていなかったことなのですが、僕の土星はルーズなアスペクトしかなくて、これはノーアスペクトと言ってもいいくらいなんだと思いました。

そして、たしかにそうなんだと理解した途端に、自分がどこに向かおうとしているのかというような、いわゆる目的意識が弱かった理由がわかったような気がしました。

いや、目的意識が弱いとも思ってなかったんですけどね。ただ、絶対これをやるぞということに関して、短期目標はあっても、長期目標ははっきりしないというか、おぼろげというか、漠然としているというか、、、

だから、人が目的とするものに賛同して、その目的を追いかけるというような目的意識の持ち方だったんじゃなかろうかと、突然気がついて、実はかなりうろたえています。

ほんと今さらながら、気がついた感じで、正直、かなり驚きました。

僕も、もう年齢的には60才を超えたので、5~6度くらい離れていても、ゆる~くアスペクトの影響は出始めてるかも知れませんが、若いときには、まさにノーアスペクトで、まったく反応していなかっただろうと思います。

土星のノーアスペクトってこんな感じというのを講座の中で何回か聞いているうちに、これって僕のことなんじゃないのって、すごーく遅ればせながら、気がつきました。

土星がノーアスペクトの人は、ああしなきゃ、こうしなきゃと思いながら、いろいろできなかったりするけれど、アスペクトが取れる人が現われると、俄然、何をしたらいいかわかるようになるわけですね。

自分のチャートの中に土星のアスペクトがない人の場合、いろんなことがわかっていて、どういうときにはどうすればいいとか、対処の仕方とか、わかっているんだけど、残念ながらひとりでいるときには、どこから手をつけていいかわからないみたいな状態になるのです。

しかし、アスペクトする人が現われた途端、「ああ、そうそう、これがやるべきことですね。このやり方は僕よく知っています。こうした方がもっといいと思うから、やっておきます。」とか、はっきりと状況が見えて、自分がやるべきこともわかって、俄然、能力を発揮し始めるわけです。

先生との出会い

ここまで書きながら、「うわー、だからか」と、ちょっと叫び出したくなっています。今、気がついて愕然としたのは、22歳の時に出会った、舞踏の先生との関係のことを思い出したからです。

その先生との関係においては、紆余曲折本当にいろんな事がありました。最初の出会いは、その先生がバリ島の踊りを踊るのを見て、僕はとてつもないショックを受けたというものでした。

老人の面をつけた踊りでしたが、その老人にどやしつけられたと思ったのです。それはインドから帰ってきて、これからどう生きていくのか、迷っていたときでした。その老人の踊りのエネルギーは僕の魂に刻み込まれてしまったようでした。1ヶ月後、気がついたときには僕はバリ島にいて、踊りを習い始めていたのでした。

バリで踊りを習いつつ、日本ではその先生が主催する舞踏研究所に入り、踊りやヨガの勉強を始めたのが、23才になった時でした。

その先生との関係はとても深いものがあったのだと思います。僕的にはグルだと思いましたし、運命的だと思いました。だから、その頃は気が狂ったように踊りに打ち込んだのですね。その勢いは尋常ではないものがあったと思います。

2年ほど前に占星術の勉強を再開したときに、その先生のホロスコープを作ってみて驚いたことがありました。それはその先生の太陽が僕の土星とぴったりコンジャンクションだったということでした。

山羊座13°「火の崇拝者」

山羊座の13度。サビアンシンボルが「火の崇拝者」で、ある面、カルトの教祖といってもいいような感じで、マニアックな舞踏研究所を表わすのにはぴったりだと思います。

そうなんです。最初の方で書いたように、ノーアスペクトだった僕の土星が、先生の太陽に出会った途端に、反応したのだと思います。

そしてこれこそが僕がやるべきことであり、僕の生きる目的であるということを、自分で選んだのでしょう。別に騙されたわけでもなく、そそのかされたわけでもなく、僕の中のエネルギーがそこに反応して、噴き出したということがそこで起こったのだろうと思います。

たしかに、その頃の僕にとっては、学ぶことも多かったですし、それ以外の選択があったとは思えないくらいに、確かな感覚として、自分で選択したという自負があるので、けっして後悔はしていませんし、あそこで出会えたことに、たくさんの感謝もしています。

しかし、それでも、あのときの衝動と言いますか、突き動かされるように取り組んだ踊りへの情熱の根っこに、先生の太陽と僕の土星のアスペクトがあったからであるということを認めるのは、しばらく時間がかかりました。まさに「まじか!?」という感じです。

その後

その後、いろんなことを学んでいく過程の中で、先生との関係でいろんな苦しさも経験しました。出会ってから20年ほど後に、僕は先生のところを離れて踊りを一度やめるという選択をしたのでした。

その時には、治療の仕事を始めていて、キネシオロジーの仕事を新たに始めようとしたタイミングだったと思います。その時には今のパートナーと結婚して、新たな方向性を見いだそうとしていたからというのもあったかも知れません。

そう言えば、パートナーとの関係においては、彼女の土星が僕の太陽とジャスト60°のアスペクトを持っているんですね。彼女の土星もどちらかというと、ノーアスペクトですから、彼女の側から見れば、僕に出会ったことの意味というのが、あったのかも知れません。そして、僕に対しては、いろいろと明確になるようなところもあったのかも知れません。

そして、今では彼女の土星が示すルールと同調しながら、僕は太陽を模索しているようなところがあるのです。土星と太陽の絡み方がとても意味のあることのように思えてきて、思っていた以上にでっかい、ラスボス級の怪物が出てきた感じがしています。ここにも今まで見えなかった構造があったのだという驚きでもありました。

ノーアスペクト

ノーアスペクトの意味、すごく大事ですね。これでもう絶対忘れないと思います。そして、あの20代前半の多感だった時期に感じたこととか、その時に夢見ていたこととかも、とてもなつかしいです。

踊りの衣装はずっとしまい込んでいて、これからどうしようかと思っていたのですが、少しずつ踊りのことも振り返ってみようと思います。自分のかつてやってきた大事なエッセンスがそこにはありますからね。どのようにできるかわかりませんが、ちゃんと向き合ってみようと思います。

老人のお面

ちなみに、あの時の老人のお面は、先生が亡くなったあと、僕が引き継いでいます。先生が亡くなったときには、僕はもう生徒ではありませんでしたが、遺品の整理を手伝いながら、先生を偲んでいたときに、古い知り合いから聞かされた言葉があります。

それは、亡くなる少し前のこと、先生がその人に、「何か欲しいものがあったら、なんでも持っていっていいよ」と言ったのだそうです。それで、その人が「お面が欲しい」と言ったところ、「お面はじゅんちゃん(僕のこと)が持っていくと思うから置いておいて」と言ったのだそうです。それを聞いて泣きました。そして、その老人のお面だけでなく、たくさんの思い出のあるお面をいただいてきました。

その後、何度か、それらのお面をつけて踊りましたが、田んぼをやるようになってから、ずっとしまったままになっています。今、こういうことを思い出して、書いているということは、そろそろとお面を出して、風に当ててあげるべきなのかも知れません。それをつけて、また踊るかどうかはわかりませんが、少なくとも、今日は先生のことを思い出しただけでも、大事なエネルギーに触れることができたと思います。

それは先生の太陽の「火の崇拝者」ではなく、僕自身の土星の「火の崇拝者」としての、落とし前の付け方を考えるべき時だということなのでしょう。

いやいや、占星術の勉強したいと言って始めたことなんだけど、ホロスコープに向き合えば向き合うほどに、やばい記憶がどんどん出てきますね。まさに、まじか!?という感じです。^^;

余談

ここまで書いてから、あらためて先生のホロスコープを見てみました。僕のも出して、シナストリーを見てみたら、たしかに僕の土星と先生の太陽はぴったり合でした。

内側が僕、外側が先生

そして、他にも、僕の月に対して、先生の土星と木星が合になっています。そしてもうひとつ、僕の水星に対しては先生の冥王星が合でした。どちらも、先生の権威において、指導を受ける僕というような図でしょうか。

あのころ、本をたくさん読んでいた僕に対して、先生が最初に言った言葉は、「本ばかり読まず、身体を動かせ。馬鹿になれ。」と言われたことでした。いろんな戒めと身体を制御することとかを教わったんですよね。たしかに。

グランドトライン

さらに僕の乙女座にある冥王星、金星。牡牛座にある僕の月と先生の土星と木星。さらに山羊座の先生の水星。その三点で地サインのグランドトラインができていました。いや、もう腐れ縁ですやんという感じですかね。驚きました。

たしかに、これは縁を感じたのも当然だったのかも知れません。20年に渡って、たくさんの影響を受けました。ただ、地のグランドトラインですからね。あまりにがっつりとくっついてしまって、やめられなくなっていたというのもあったと思います。

こうして思い返してみると、やはり今のパートナーと出会って、彼女の土星と僕の太陽のセキスタイルが効き始めたということが、僕がその先生のところを離れるきっかけになったのかも知れないとも思います。もっとも、いろんな要因が複雑に絡んでいますから、何が正しいと言うこともないでしょう。

ただ一つ言えることは、やはりあのときの出会いがあったからこそ、今のような僕のキャリアは築かれてきたという事です。それは間違いないわけです。これもまた人生を振り返っての整理作業みたいなものでしょうか。思いがけず、大きな問題だったなと思います。まだまだ、このあたりのことは掘り下げてみる必要があるのかも知れません。

加筆

後日、この先生とのあれこれについて、もう一度検討し直しました。この記事の入り口はノーアスペクトだったので、その流れで僕の土星と先生の太陽について書きましたが、関係性などを具体的に見直して書いたのが、こちらの記事です。


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