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洋服の好みは「スタートに戻る」

最低気温が6度、最高気温がどうやら10度未満になりそうなので、コートかか何かを羽織らないと見ず知らずの御年輩のマダム達に風邪をひくのではないか等々心配し、お声がけを頂く季節になったと自覚した晶です。

さて、高校生の頃に憧れたお洋服ブランドがありました。いつも母とお洋服を買いに行っていたお店の向かい側にそのお店はありました。その御店の隣にはMARGARET HOWELL、反対側にY'sが並んでおりました。

その御店の名はトリコ コム デ ギャルソン(tricot COMME des GARÇONS)。川久保玲さんが設立されたブランドです。当時の私は山本耀司さんも川久保玲さんも存じ上げることなく、ビバリーヒルズ高校白書(青春白書)から西海岸に憧れつつも、シャーロックホームズの街LONDONへより強いあこがれを頂いていました。

トリコ コム デ ギャルソン(tricot COMME des GARÇONS)との出会いは、私にとっては衝撃的でした。買いに行った御店にある服より、tricotにあるお洋服を着てみたくて、着てみたくて…。とはいえアルバイトもしておらず、親に頼り切りの高校生なので母に訴えることしかできず…。

母には「まだはやい!」と、言われ…tricotのスタッフさんには「自分で買えるようになったら買いに来てくださいね」という言葉と共に微笑みを返されました。

高校を卒業し、初めてアルバイトというものをしました。伊勢にあるリゾートホテルに泊まりこみで大型連休を過ごしながら働くというタイプのお仕事は今もあるのでしょうか?ホテル内にある和食料理店での皿洗いがお仕事でした。朝食と夕食の時間帯が勤務時間で、お昼は自由行動という初めてのアルバイトにしては楽しかった覚えがあります。

働いた結果手に入れたそのお金で勿論購入致しました!トリコ コム デ ギャルソン(tricot COMME des GARÇONS)の黒色ロングの巻スカート。御店の場所が、百貨店内から近くのファッションビルに移転していて慌てたことも覚えています。

声をかけてくださったスタッフさんはその時には退職されていたのですが、大変よくして頂きました。そして、アラフィフの現在、そのスカートは今だ健在。黒色も褪せることなく、着ています。

二十歳の頃、Y'sのロングワンピース?を年上の友人の結婚式参列の為に母が買ってくれ、高校生の時に言われた「まだ早い」は誤魔化しの言葉ではなく、本気だったんだなぁととても感謝しました。私が参加しない結婚式に友人やその妹たちが着て参列するというハレの日に大活躍したお洋服でもあります。そして、こちらも今だ健在。

Y'sもtricotも決してお安いお洋服ではなかったので、頻繁に購入できる部類のお洋服ではありませんでした。ですが、着ると背筋が伸び、気持ちの良いお洋服ばかりだったので、買える範囲で購入はしていました。

ですが、田舎の一般受けがよいというものとは遠い部類のお洋服だったこと、一番の友人がオンワード系列のショップに勤めており助力になればとその御店メインで購入していたので、離れていた時期もありました。

が、友人がショップ店員を辞めた時期に、知り合い仲良くなった女性がファッションビルのスタッフだったことがきっかけで、何年かぶりにY'sとtricotに足を踏み入れたのがアラサーの終わり…アラフォーの始まりの頃でした。

試着して思ったのはY’sやtricotのお洋服は着ていてやっぱり気持ちがよく、背筋が伸びて、心がウキウキすると共に、なんだか自分らしいということでした。それから再びY'sを中心とした山本耀司さんのお洋服にCOMME des GARÇONSを合わせて着るというスタイルで休日を過ごすようになりました。

exショップ店員の友人にY'sの服を着て出会った時に「やっぱりってゆうのも変だけど、山本耀司さんのお洋服やtricotを着ている晶が一番晶らしいね」と言われた時は本当に嬉しかったです。そして、洋服で自分らしくあれるんだなぁと実感しています。

そして、田舎の一般受けを気にしていたあの頃の自分に申し上げたい。Y'sやtricotを着ていても、見知らぬ方に道を尋ねられたり、カメラ撮影をお願いされたりする位の事は頻繁におこるのだと。

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