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『歩いて見た世界/ブルース・チャトウィンの足跡』を見る

岩波ホールは7月29日をもって、54年の歴史に幕を降ろす。エキプド・シネマの発足年の初期会員だったボクとしては、沢山の名作を届けてくれてありがとうの感謝の思いとともに、掉尾を飾る『歩いて見た世界/ブルース・チャトウィンの足跡』(ヴェルナー・ヘルツォーク監督2019年英仏スコットランド合作。85分)を観て来た。
さて、ドキュメントと朗読(チャトウィン自身による『パタゴニア』、監督による『ソングライン』)と、インタビューで構成された本作では、不思議なことにブルースの声、残したノート、筆跡、写真はあるのだが、ブルース自身の動く姿がない。ヘルツォーク監督がモノローグで語るようにこのドキュメントは、ブルースの伝記映画ではない。では何か?
ブルース・チャトウィンが実はヘルツォーク監督との出会いの文章を残している。「そのうちわかったことは、ヴェルナーが矛盾のかたまりであるということだった。非常にタフながら弱く、親しみやすい反面孤高の人で、禁欲的であり官能的であり、日常生活のストレスにはうまく対処できないのに極限下の状況は切り抜けられる人物だった。…」(『どうして僕はこんなところに』角川文庫198p)
この言葉が嘘ではなかったことは、書物に倣った8章だての映画の第6章で語られる。ヘルツォーク監督自身がパタゴニアで撮った映画で、ホワイトアウトの吹雪の中で55時間も身動きも取れずに九死に一生を得る体験をする。その時、ブルース・チャトウィンに譲られた皮のリュックサックの上に座りヘルツォークは凍死せずに済んだ。
そう、この映画はブルース・チャトウィンの足跡を辿りながら実はヘルツォーク監督の自身の作品をも辿り、自分自身を語っている。その上でヘルツォーク監督は、ブルース・チャトウィンとは私だったと語るのだ。日本ではこれまで『アギーレ/神の怒り』(1972年)くらいしか公開されてこなかったヘルツォーク監督作品は6月17日から8本の新旧作品が80歳になった監督の回顧上映としてUPLINK吉祥寺で特集上映されるらしくこれも楽しみである。ヘルツォーク監督は70年代ニュー・ジャーマン・シネマの騎手としてヴェンダースなどと共に華々しくデビューした。しかし、本邦ではさほど知られた存在ではなかった。どこかヴェンダースの影に隠されてしまった感があった。だから、むしろヘルツォークの全貌・本領はこれから明らかにされるのかも知れない。

ボクは入手して読み始めたばかりの『パタゴニア』(河出文庫)を片手に持って岩波ホールへやって来た。そして読み終わったばかりの冒頭部分を作者ブルース・チャトウィンの朗読で聞くことになる(第1章ブロントサウルスの夜)。ブルースの声は若々しい青年の声であった。少し高い音でHIVに感染して死に至る前(1989年享年48歳)、妻のエリザベスが証言するようにハンサムでチャーミング、男女問わず誰からも好かれたらしい。ただ、それは遠慮会釈無いと言う欠陥と裏表でやむことのないお喋りと、押し付けがましさとの共存だった。深い思索の人かと思ったのだが、その素顔は他人迷惑の人だったらしいのだ。だが、ブルース・チャトウィンはもしかしたら、語る(talk,talking)のではなく(sing,singing)いたかったのではないか?だからこそ先住民族アボリジニの人々がドリーミングの道と呼んでいた大地、土地への神話的な呼び方を「ソングライン」と呼び、その呼称がアボリジニの人びともそう呼びだし今はすっかり定着している。
野生や、先史時代への関心が、恋慕のようになっている人がいる。ブルース・チャトウィンもまたその短い生涯を通じてその人たちの仲間であり、世界を、辺境地帯を歩き回ることにより、歩く人しか見ることのできない風景を見たのだ。

「世界は徒歩で旅するものに、その真の姿を見せる」

(June,8/2022 by JUN,F)

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