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書くと言うこと…

書くと言うことが重要でして、
毎日毎日Facebookで駄文を投稿しています。何はともあれ
毎日作文して人に読んでいただき、
何かを残していけたらと続けています。Facebookではなるべく
読んでいただきやすい様に。
こちらでは、
自分の内面と向き合った内容だったり、
少し重いものを毎日ではなく、
書きたい時に残していこうと思います。

自分にとって文章を書くと言うことは、
最近とても重要な事になりました。
コロナ禍の連休の退屈しのぎに
始めた作文でしたが、
今では毎日抱え込んだ、
荷物を下ろす様な作業になっています。
抱え込んだ荷物は時に大事な宝物であったり、見るに耐えない様な、
みにくい塊であったりと様々です。
この荷物を下ろす作業、
本来はひとりでさみしく
自分のなかで処理していくものですが、
文章にして読んでいただき
共有することで
なかなかの娯楽性を
持ったりするもんなんだなぁと感じました。

他人の人生は滑稽なもの、
自分の人生ではないから。
これが根底にあるのではないかと
思っています。
これはとても重要で、
自分の前に見えるモノは
自分の体験として処理されますが、
文章におこされた僕の体験は、
読んでいただく方の
想像力によって膨らんでいくのでは
と思うのです。
読んでいただく方が想像する僕が
読んでいただく方の頭の中で
想像で創造されていく、
それは本当の僕ではないのですが、
読んでいただいている方の頭の中では
確実に僕であり、
その僕が酷い目にあったり、
喜んだりしているのを想像して
楽しんでくれているのではないのかな
と思っています。

何か訴えたい事があるわけでも、
主張したいわけでもなく、
自分のしたことや、
思い出なんかを文章におこす事によって、
自分の内部を整理して、
読んでいただく方には笑って頂いたり、
ほっとして頂いたり、
ドキドキして頂いたりしていただければ
幸いです。
どうせあなたの人生の出来事では
無いのですから、
たわいも無い男のたわいのない出来事です、
それで楽しんでいただけたら
嬉しいなとこうして文章を残していくのです。

大切なことは、
僕はたわいのない男ですが、
それなりに一生懸命に生きている
という事でして、
これは誰にでも共通している事実なんです。
しかし生きるために活動する限り、
なるべく酷い目に遭わないようにと
気をつけていても、
意に反して酷い目に遭うと言うのが
慣例となっています。
別に酷い目に遭おうとしたり、
わざと間違えたり、
ドジを踏んだりしているわけではありません。ここのところずぶ濡れになる事が
増えてきてそれを文章におこしていますが、
決して進んで
ずぶ濡れになっているわけではありません。

間違えはたくさんあるし、
基本ボーッと間抜けな人生を
送っている僕ですが、
作文する事によって、
少しでも前に進もうとしている事が
伝わると良いなと思います。
自分は少し人とは違うなと言う
さみしさや悲しさに苛まれた時期も
ありましたが開き直って文章にして
楽しんで読んでいただく事で
ずいぶんと楽になっています。
どうせ理解されないとか
わかってもらえないと嘆くよりは
その方が幾分かでも幸せですから…
と今日もスマホと自分と向き合いながら
作文を続けていくのです。

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