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物語における学校の屋上について【国士舘アニ研ブログ】

こんにちは。鯖主です。
皆さん、えっちじゃない方の同人音声を聴いたことはありますでしょうか?同人作品というのは往々にして個性的な作品である傾向にありますが、それは音声作品(ボイスドラマとかASMR)とて例外ではありません。先日、そんな同人音声作品のひとつである「90年代セカイ系に影響されすぎている子が回りくどい告白をしてくれるボイス」なる作品を買いまして、『ブギーポップは笑わない』的な作品に影響を受けてそうなボクっ娘少女のモノローグ調な語りとデレとのギャップが非常に好みだったのですが、その舞台は学校の屋上でした。しかも夕暮れです。
このようにセカイ系から連想されるものの代表格のひとつが学校の屋上とされています。私も屋上はセカイ系において、もう少し広く言えば思春期的な物語において、なんなら多くの物語において、すごく「っぽい」要素だと思っているのですが、物語と屋上との相性の良さは一体、何に由来するものなのでしょうか?
本稿はそんな感じの内容で進めていく予定です。


さて、まずは屋上が舞台として選ばれがちな場面をいくつか挙げて、物語における屋上について整理しましょう。

・告白や喧嘩のような一対一の強いコミュニケーション
・自殺
・キャラクターの出会い
・サボりや逃避
・コミュニティの諸々の描写

私がパッと思い浮かぶ屋上が舞台の場面はこれくらいですね。
では、上から順にその場面での屋上の役割を考えてみます。

まず「告白や喧嘩のような一対一の強いコミュニケーション」の場面では屋上が閉鎖的であることが、物語においての屋上の役割として重要であると考えます。
と言うのも、屋上が出てくる作品のほとんどで屋上が不可侵領域のように描かれています。例えば、屋上が舞台となっている場面で物語的な部外者(先生とか)が屋上に割って入って来ることはあまり無いでしょう。屋上は基本的に関係者以外立ち入り禁止なのです。
したがって「告白や喧嘩のような一対一の強いコミュニケーション」という部外者の排除が重要である場面での屋上の役割はその場面を閉鎖的なものにすることではないでしょうか。
そして、これは「キャラクターの出会い」の場面でも同様のことが言えると思います。中でもボーイミーツガール的な文脈を持つ出会いは特に類似しているでしょう。

「自殺」の場面では屋上が閉鎖的でありながらも、空を隔てるものが無く、学校の中で一番高い場所≒一番空に近い場所にあることが重要であると考えます。
自殺という行為の読み方のひとつに、遠景(いわゆる「ここではないどこか」)を望む行為であるというものがあります。現状、あるいは自身の生に対して懐疑的(自身の生が生きるに値するのか懐疑的)であるからこそ自殺を行い、だからこそ遠景を望んでいるという読み方です。例えば「ここから逃げ出したい!」という願望も、遠景を望んでいることの表れであると言えるでしょう。そして、遠景の象徴として描かれることが多いのが空です。なので「空を隔てるものが無く、学校の中で一番高い場所≒一番空に近い場所にあること」が重要なのではないか、ということです。
遠景については空以外のアプローチもあります。現実の話はともかくとして、映像作品で描かれる学校の屋上の多くは、せいぜい3mくらいの柵に囲まれているだけの空間であり、その気になれば簡単に柵の外へ出れてしまいます。そして、柵の外から一歩足を踏み出せば、そこは死の世界(遠景)です。こういう側面からも屋上は遠景により近い場所であると言えます。
これは、言い換えれば屋上は近景(いわゆる「いま・ここ」)と遠景が曖昧になる場所であるとも言えます。例えば『天気の子』において、鳥居が屋上(学校の屋上ではありませんが……)にあることの理由をこういう読み方から考えることもできるでしょう。
兎にも角にも、キャラクターの自殺を遠景を望む行為であると読む場合、屋上という舞台は非常に相性が良いのです。
先述した屋上の閉鎖的な側面も相性が良い点のひとつでしょう。(自殺からは少し外れますが)特に心中を描く場合は、不可侵領域的な屋上の側面がよく活きていると思います。

「サボりや逃避」を描いた場面でも閉鎖的な側面が重要なのではないでしょうか。
特に逃避の場合がそうですが、屋上が少なからず安心できるような場所、すなわち、それなり以上に外部から隔絶されている場所であるからこそサボり先や逃避先に選ばれることが多いのでしょう。屋上はそういったキャラクター達を外部から守れるような殻や居場所である必要があると思います。
「それなり以上に外部から隔絶されている」とは言ったものの、関係者には開かれているという点も重用でしょう。例えば屋上には主人公とその周りのキャラクターしか訪れていなかったり(モブキャラが屋上に訪れない、訪れていることが描写されない)、美少女ゲーム的な例えですが、屋上で出会う少女は大体ヒロインであったり(主人公はヒロインにとって部外者ではない、あるいは部外者ではなくなる存在)。
また、先述した遠景により近い場所であるという側面も相性が良い点でしょう。何かをサボって、何かから逃げて屋上に来たということは近景(サボったもの、逃げてきたもの)に対して何かしらの違和感や反発みたいなものがあるということです。したがって、多少なりとも遠景を望んでいるということでもあります。

「コミュニティの諸々の描写」の場合も、やはり閉鎖的な側面が重要であると考えます。
日常系アニメをイメージしてもらえれば分かりやすいと思いますが、屋上というのは(主人公周りの)小さなコミュニティの居場所となることが多々あるのです。部室と似たような役割ですが、屋上特有のマイノリティ感と空が広がっていることによる青春っぽさは部室とは異なる良さであると思います。先程扱った「サボりや逃避」の場面の舞台に屋上が使われがちであるように、何かを抱えたキャラクターであっても受け入れてくれる屋上の懐の深さが「屋上特有のマイノリティ感」に繋がっているように思えます。物語の部外者に対しては厳しいですがね。そして、このような性質を持っているからこそ、人が集まりやすく、学校にあるコミュニティの居場所として描かれやすいのかもしれません。
そう、学校の屋上なので当然ではありますが、学校にある場所という点も物語における屋上の役割において、とても重要でしょう。"学校の中で"1番空に近い場所ですし、"学校の中で"特に閉鎖的な場所です。

ここまで物語における学校の屋上の役割を大まかな場面ごとに考えみました。その中でもよく挙げられていた屋上の役割として、屋上が閉鎖的な場所であること、それでいて関係者は受け入れてくれる場所であることがあったと思います。そして、次点で空が広がっている場所であること、学校にある場所であることが挙げられました。
本稿は「物語と屋上との相性の良さは一体、何に由来するものなのでしょうか?」という問から始めたものでした。そして、そのことについて一通り考えてみるとその答えはかなり複合的で一概にこれと言うものはなさそうですが、それでも答えのひとつとして、「屋上が閉鎖的であることに由来する」というのはあるのではないでしょうか。閉鎖的であることの意味は作品によって、読み手の捉え方によってコロコロ変わりますが、そういう柔軟性も含めて物語と相性の良い舞台なのかもしれません。

ということで物語における学校の屋上の話、もといセカイ系という単語を使わずにセカイ系を喋ってみる試みでした。 


冒頭で紹介した音声作品

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