見出し画像

【感情を感染させないために】

【感情を感染させないために】

 ふだん怒りを抑圧している人の怒りはこちらに感染しやすい。それは怒りだけではなく、悲しみや諦めや絶望も、それが抑圧されたものであればあるほどその感情は感染しやすい。ある人物やある集団の行為を見てそれにとても怒りや悲しみを感じたならば、実はその怒りや悲しみはその人物や集団自身のものであることがままある。本人が感じずに抑圧され行き場のない感情は他者が「感じる」ことになるのだ。

 おれは表明する。怒った、悲しい、悔しい、苦しい、痛い、といちいち表明する。めんどくさい奴やなあと思われているだろうけど、おれはちゃんとことばで何で怒っているのか、何で悲しんでいるのか、どうしたいのかどうしてほしいのか、きちんと表明する。何故なら、自分の怒りを他者に感染させないようにするためには感情をきちんと表明するのが良いから。表明された感情は共感される/されない、ことはあっても感染することはない。そこには選択肢がある。おれが表明した感情にどれくらいの距離をとるのか、共感するのか、拒絶するのか、しばらく考えるのか、無視するのか、…、という選択肢が感情を受ける側にある。感情の感染には選択肢がない。それはウイルスのようなもので半ば強制的に他者のこころに侵入し、感染し、症状を引き起こす。

 「自分の感情や絶望を他人に感染させない。」この感情の倫理がおたがい楽しくきもちよく生きていくためには必要なのだろう。また、互いの絶望を分かち合う為にも、感情の表明は必要なのだろう。「言わなくてもわかってほしい」でわかってくれるかもしれないのは自分が乳幼児の頃の親くらいで、その親ですらわかってくれることなんてほんとんどないんだから。

 だけど、ことばで感情を伝え合うその先にお互い言わなくても分かり合えるような関係性があるのだと思う。感情かことばかという二択ではなく、感情のこもったことば、或いは、ことばのこもった感情のやりとりができるのだろうと思う。そういうやりとりのことを「想い」というのでしょう。

だから今日もおれは、報われずともあなたを想う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?