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そのアニメ映画は私に果たし状をたたき付けた 「リズと青い鳥」感想と解題その1

はじめに


アニメーション映画「リズと青い鳥」は、山田尚子監督、吉田玲子脚本、牛尾憲輔音楽の作品として、また、小説シリーズ「響け!ユーフォニアム」の脇役である2人の少女にスポットを当てた作品としてこの世に創り出されました。この3人での仕事としては、他にアニメーション映画「聲の形」そして今年放映された「平家物語」があります。

この作品の感想としては、私が「佐分利奇士乃」名義で執筆した本「今日を生き延びるためにアニメーションが教えてくれること」(学芸みらい社)の2つ目のコラムでも触れましたが、ここではまた別の角度から感想を書き、解題することを目指します。

開始1分半でたたき付けられた「果たし状」

「リズと青い鳥」が映画化されると知ったとき、私はまず勘違いをしました。小説で語られたとある架空の絵本を映像化するのか、と。実際にはそうではないことを知るのは、「リズと青い鳥」の公式ホームページを閲覧したときでした。
そして映画館で上映された本作を観て、冒頭まず絵本のメルヘンな世界が映し出されたとき、また「このまま突き進むのか」と思わされてしまいました。実際にはさらに先、映画本編の冒頭が映し出されたとき、ある種の覚悟というか、果たし状を突きつけられた感触を味わいました。

足音とともに映画は始まるのですが、それはこの作品世界の音楽の始まりでもありました。

90分で創り出された「4分33秒」

足音はそのまま劇伴音楽、いや、「リズと青い鳥」という作品の一部としての音楽に埋め込まれた形で聞こえてきたのです。それは、私にとっては「この『リズと青い鳥』という作品を最後まで、一曲の音楽として浴びせられても立っていられる覚悟はあるか」という果たし状だったのです。
結果、私はある種の敗北感と、また別の達成感を、映画を観た後で味わうこととなりました。

それは、様々な生活音をサンプリングして創り出された様々な楽曲(特にdécalcomanie(デカルコマニー)と題が付けられた曲群)によって彩られていました。あたかも、白あんで作られた柿の実の和菓子のような、自然の果物をそのままお膳に出すのではなく、加工品をさらに飾り付けて果物を作り上げた和菓子のようなものでした。

環境音を音楽として作り上げるのは並大抵の感覚と労力では足りないのではないかと推測します。それがこの「リズと青い鳥」という作品でした。それを味わい尽くすということは、この作品を1曲の「4分33秒」として聞ききるということでありました。そして、それができるかという「果たし状」を「リズと青い鳥」は冒頭の足音一つで私に突きつけたのです。

そして90分後、私はこの作品が90分で作曲された1曲の「4分33秒」だったことを認めざるを得ませんでした。そして同時に、私はこの映画を「聞ききった」達成感をも味合わせてくれたのでした。

観客はどうしたって不利

私は映画を観ながら、「リズと青い鳥」を聞きながら必死に追いつくよう、必死に眼と耳を駆使しました。しかし、アニメーション映画というものは常に流れ続ける時間とともに動き続ける作品であり、観客である私は追いつくだけでも大変な体力を使ったように感じます。

音楽、実写映画、アニメーション作品は常に流れ続けます。それを味わうためには、作品に埋め込まれた意味や情報、性質を、眼や耳から全力で受けとめ続ける必要があると思うのです。しかし、「味わう」ためには時間がかかります。ただ漫然と観るのではなく、すべてを見届け、聞き届けるためには、飲み込むための時間分必ず映画本編から遅れてしまうという宿命を負っています。

それでもこの作品を観たあとの達成感が味わえたというのなら、それは映画にキャッチアップしたということでもあるのでしょう。

まだ冒頭の感想と解題しかできていませんが、今回はこのあたりで筆を置くことにいたします。

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