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鬼滅の刃 少子化の日本に響くテーマ「受け継ぐ者」と「孤独な鬼」たち

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こんにちは。
普段はリアクション動画の翻訳などをやっているセカンドストライクです。
その翻訳の関係で「鬼滅の刃」という作品を見ることもありますが、正直最近までその面白さをよく解っていませんでした。
もちろん今までもそれなりに「面白い」とは思っていました。それは「作画が良い」とか「キャラがカッコイイ」など、どちらかというと外面上の理由であり、作品の中身自体に深く注意を向ける暇がありませんでした。

しかし、ある日突然「鬼滅の刃」の見方が変わりました。それは主人公である炭治郎のセリフでした。それは「刀鍛冶の里編」の2話で、からくり人形「縁壱零式」を自分では直せないと落ち込む小鉄に、炭治郎がかけた言葉でした。

「受け継ぐ者」たち

Ⓒ 吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

「自分に出来なくても、必ず他の誰かが引き継いでくれる。次に繋ぐための努力をしなくちゃならない。君に出来なくても、君の子供や孫なら出来るかもしれないだろ」

鬼滅の刃 刀鍛冶の里編2話「縁壱零式」より

実際にはこの後に「俺や引き継いだものが鬼舞辻無惨を倒すんだ」という流れがあり、音楽もピークを迎えるワケですが、私はどちらかというとこの部分に大変な共感をしました。その頃私は仕事やプライベートの諸々でうまくいかない事が続き、「努力」をすることに対して億劫になっていました。
そんな時に炭治郎のこのセリフがグサリと刺さったのです。

「自分が上手くいっていないからと言って、それは努力を諦める理由にはならない……」
「僕がこの人生で達成できなかった事も、次の世代の誰かが受け継いでくれるかもしれない」

多くの人間にとって、人生はうまくいかない事の連続であり、本やテレビ、ネットで見る輝かしい実績や成功を収めた人間はほんの一部です。私もそんな人間のひとりであり、炭治郎のこのセリフは非常に勇気を与える言葉だと思います。

ともかく、このセリフが私が鬼滅の刃は「受け継ぐ物語」であると強く認識するキッカケになりました。もちろん今までだってそうなのですが、私はどういうわけかあまりそういう視点でこの作品を見た事がありませんでした。しかし、そうやって見ると色々と面白くなるのがこの作品の魅力のひとつだと私は思います。

「受け継ぐ者」の対極、鬼

そういった視点を得た場合にさらに見方が変わるのが、炭治郎をはじめとする鬼殺隊たちの敵である「鬼」です。

Ⓒ 吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

刀鍛冶の里編の最終話で、鬼舞辻無惨が平安時代の人間であることが解りました(ひょっとしたらその前にも言及されてるかもしれませんが、単に私が忘れてるだけです。大目に見てください)。実際に鬼の存在が書物などで確認されるようになったのも、平安時代からであると言われています。
また、「受け継ぐもの」達である鬼殺隊の敵が「鬼」だというのも、個人的には納得が出来ます。鬼舞辻無惨が平安時代の人間であるというちょっとした設定からも、原作者の吾峠さんは感覚とかではなく実際に日本の「鬼」について結構なリサーチをしたのではないかと思われます。

そもそも鬼とは何でしょうか?一説によると、もともと鬼は「隠(おぬ)」や「隠人(おんにん)」と呼ばれていて、そこから変化して「鬼」と呼ばれるようになったとか。
「隠」とは「この世ならざる者」と調べて出てきましたが、私が知っている説には「隠」や「隠人」は「人や社会との繋がりを失った、孤独な人間」という意味があります
鬼滅の刃には他の少年漫画と比べてみても、敵に対して大きなフォーカスをする場合が多いと思います。象徴的なのは鬼が死滅するその直前、走馬灯かのように回想シーンが挿入され、鬼になるだけの悲惨な過去を背負った人間だったと読者や視聴者が知るパターンが多いです

Ⓒ 吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

また、鬼たちは「協力し合うこと」を知りません。鬼たちの多くが単体で行動していることが多いです。刀鍛冶の里編では上弦の鬼である玉壺と半天狗が同じ場所で、同じ目的を目標に行動していたにもかかわらず、彼らはチームプレーをしませんでした。
例外として遊郭編の堕姫と妓夫太郎は兄妹という間柄であることから、協力して炭治郎たちを迎え撃ちましたが、それでも彼らが他の鬼たちを頼ることは無かったでしょう。更に残酷なことに、刀鍛冶の里編1話で無惨は彼らをこう切り捨てました。

Ⓒ 吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

「妓夫太郎は負けると思っていた。案の定、堕姫が足手まといだった。初めから妓夫太郎が戦っていれば勝っていた」
「人間の部分を多く残していた者から負けていく……」

刀鍛冶の里編1話「誰かの夢」より

まさに「孤独な鬼」である無惨は、妓夫太郎たちの兄妹という繋がりを「人間らしさ」として切り捨てた、とも言えるわけです。

鬼と人間の努力の方向性


刀鍛冶の里編最終話で、無惨が上弦などの眷属を作ったのは自分が太陽を克服するための実験なのだと判明しました。無惨は彼らに何の感傷も繋がりも感じていません。だからこそあんな酷いパワハラを平気でするわけで、無惨は彼ら鬼としての力を与えれば基本的にあとはほったらかし。特に育てたり、何かを与えるという事をしません。
それは自分自身が絶対的な力を持ち、かつ1000年以上もの時を生きている不老不死であるからこその考えなのでしょう。恐らく50,60年程で死んでいた大正時代の人間たちとは、根本的に考え方が違います。無惨は努力をしますが、その努力が向かっている方向は全て自分自身のためです。

一方炭治郎たち人間は冒頭でも伝えたように、彼らの努力は「次の世代のため」であることが解ります。もちろんその全てが利他的であるとは言えませんが、これこそが人間と鬼の大きな違いであり、「鬼滅の刃」という作品に於いて重要な事なのだと私は思っています。

人間は限りある時間しか生きれないため、何かを次の世代に残すことを重視し、それこそが「人間の強さ」なのだとこの作品では描かれてると私は思います。
そしてそれは何も、自分のDNAを共有した子供や孫だけに限った話ではありません。

少子化だからこそ

Ⓒ 吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

例としてあげると無限列車編で炭治郎は煉獄さんの想いや考えを引き継ぐ存在として描かれています。

更に言えばその炭治郎は恐らく「始まりの呼吸」の使い手の縁壱の技……だと思われる「ヒノカミ神楽」を継承しています。どのようにして竈門家にそれが伝わったのかはアニメの時点では不明ですが、竈門家だけでなく、「始まりの呼吸」は結果として様々な流派(呼吸)になり、各柱たちに受け継がれていることが解っています。「受け継ぐ者」は何も自分の子孫だけではないのです。

最初の話に戻りますが、たまに自分の努力が虚しいと思う事があります。けどそれって、たぶん私だけでなく多くの人たちが感じている事でもあると思います。
冒頭でプライベートで色々とあった、とお伝えしましたが、色恋沙汰でうまくいかなかったワケです。私も結構いい年齢です。ある程度の年齢に達してる人ならわかりますが、「自分には家族が持てないんだろうか」とか「自分は子供を持つことが無いんだろうか」などの焦燥感がふと襲ってくることがあります。現在少子化だと叫ばれる日本では、多くの方が私と同じような恐怖にも似た感情に苛まれることも多いと思います。

冒頭の話に戻りますが、そんな時に自分の努力が虚しくなる時があります。「自分は何のために頑張っているんだろう……」。とくに家族などがいない人なら、尚更そう思う事もあるのです(勿論そんなにしょっちゅう思ってるワケじゃないですよ!)。
そんな事に悩まされる年齢になった時に、「鬼滅の刃」という作品に巡り合えたのは幸運だと思います。ちょっと投げやりになりそうになった時に、炭治郎や鬼殺隊の事を思うと、大げさかもしれませんが勇気が出ます。

Ⓒ 吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

「自分がやっている努力や目標は、自分が生きている間に達成できないかもしれない。けど、ひょっとしたら未来の子供や、そうでなくても僕の仕事を評価してる誰かが引き継いでくれるかもしれない!」

私は最近辛いことがあったり、妙な虚無感を感じることがあればこう考えるようにしています。社会との繋がりを持てずに自分の人生に投げやりになり、無茶な事件を起こす……というのをメディアで見ることも多くなった気がします。そういう人たちを今流行りの言葉で言うと「無敵の人」と言うらしいですが、「鬼滅の刃」的に言うとまさしくその人たちは「鬼」になってしまったのかもしれません。

鬼滅の刃はその暴力的な内容から、一部の人に敬遠されていると思います。もちろんそういった部分も否定できませんが、その残酷さや暴力性の先に見える、作品が描こうとしている「希望」にこそ目を向けて欲しいと思います。
今日本で多くの人が絶望感を持って生きていると思います。若い人は経済的に苦しく、子供を持つ事さえ難しいと悩んでいます。長年続いた日本の伝統を引き継いだ人たちも、跡継ぎがおらず、自分の代で伝統を終わらせてしまうのかとため息を漏らすご年配方も多くいると思います。

そんな時にこそ「鬼滅の刃」を読んで欲しい。暴力とか、技とか、呼吸とか、そういう難しくて少年漫画チックなのは一旦置いといて、「継承の話」としてこの作品に向き合ったら、きっと「勇気」を貰えるのではないでしょうか。

自分がやってきたことが、全然知らない誰かが受け継ぐかもしれない。それはひょっとしたら、自分が死んでしまった後のことかもしれない。
そういう事に微かな希望に想いを馳せながら、今日も必死に生きていこうと思います。

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