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家族物語_010:思い出(母からの原文翻訳)

幼いの記憶には父の存在が少なかった。
偶に帰ってきたら、いつも母の部屋にいた。
暫くしたら、いつも台中に戻る。
部屋に残されたのは寂しい空気と母。

あの歳の旧暦の大晦日の前の日に
父は沢山のお金を持って帰ってきた。
母の顔には見たことない幸せいな表情が溢れていた。
その日は、とても平和な1日だった。

でも、暫くしたら、父は死んだ。
誰も予想ができなかった。
その時、政府主催している
台中第二市場リノベーションPJがあった。
副市長である父は、誰かに裏金を受けたとの通報された。
大晦日の日に刑務所に入った。
プライドが高い彼は、急に病気になって、
3日後病院に運ばれた次の日に亡くなった。

父は亡くなる夜に、
家の電球は15分くらいに点滅していた。
何か起きるとの予感していたら、
ほぼ同時に電話が鳴いて、
病院に向かう車も家に来た。
皆と一緒に病院に行って、
30分後、彼の心臓は止まった。

昔の葬儀は49日で、一つのセットになっている。
公開葬儀式前の夜中、急にタバコの匂いがした。
3階に寝ていた私はゆっくり1階に降りた。
そして、目の前に亡くなった父は煙の中にいた。
彼は微笑みながら、優しそうな声で
『生活費と学費を持ってきたよ〜』
私は『持っているのは死んだ人使うお金で、使えないよー』と言い返した。
彼の微笑みが少し続く消えて、寂しそうに姿も消えていた。

自分の力で副議長になった父は能力があって、
奥さん、彼女と子ともは結構いた。
でも、同じ母だったのはうちの4姉妹だけだった。
何故かよく分からないけど、父の葬式の担当の某奥さんは
急に、うちにお知らせなして、公開葬儀式の日程を1日早く変更した。
そした、私たちは儀式に参加することができなかった。
多分、母のことがあまり好きではなかっただろう。

今、思い出してみると、
父と過ごす時間が少なかった。
でも、彼は私たちのことを大事に
していることをなんとなく感じていた。
あの夜の一階であった彼の表情と
私に渡そうとしていた使えない
お金から妙な温度を伝えてきた。

今の私も、当時の父との歳と近ついてきた。
何年の時も経った今は、
やっと父への思いを文字に残すことができた。

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