見出し画像

下を向いたマーケティング。

外国への土産にキティちゃんを持っていったら「うちに子供はいませんよ」と言われたという話を聞いた。その外国人女性は30代で、自分がキティちゃんを欲しいと思うわけがない、とかなり強めに言ったそうだ。

これもある種の日本人独特のスタイルなんだろうな。もちろん欧米にだってキャラクターが好きな大人はゼロではないと思うよ。でも仕事をしている大人の女性がそういうモノを見て「わー可愛い〜」と言うのはあまり聞かない。くまもんとかフナッシーが「好きである」ということがすでに珍しいことなのだと思う。

子供がわかることがあり、大人にしかわからないことがある。でも大人にしか理解できないことを理解しない人は、子供が好きなモノの顧客を続ける。

だからマーケティングが「誰にでもわかるレベル」を求める。難しい小説は面倒だからライトノベル、のように。ゆるキャラみたいなものはディズニーランドに行く人が好きなカンジだからどうでもいいんだけど、さっき読んだツイートでちょっと考えさせられた。

ある書店が、洋書やダミーの本で内装を仕上げていることが話題になっていた。ヨーロッパにあるような巨大な図書館のような風景をイメージしたんだろうか、でも本を扱う場所でそれはないんじゃないかなと思う。図書館の本はインテリアじゃなく、全部読むために置かれているんだからさ。

この書店チェーンを好きだという人は田舎者だと俺は思っている。自分が生まれ育った場所にこんな書店はなかったという、それだけで成り立っている。なかったモノに対する評価って、無意味だからね。タラコはあるけどイクラを食べたことがない人が初めてイクラを食べたときは「何これ、タラコよりデケえ」という感想しかない。

今まで食べたどのイクラよりもこれが旨い、という基準がある批評とはまったく違う。「下を向いたマーケティング」というのがこれなんだけど、客をナメているのかと思ったらそうでもなくて、自分たちが初めてイクラを食べた顔をしている。これ、美味しいよ、と。牧歌的だよなあ。

台北やソウルなどにはヨーロッパを真似ていないアジア独特のクールな店がある。そこで見たモノがしばらくして東京にできるとガックシくるんだけど、土日にワゴンRに乗って北関東からやってくる客にはそれでいいんだろうと思う。初めて見るんだからな。

それはそれでいいんだよ。でもヘタをすると「え〜、あの店知らないとヤバいよ」みたいに言うのだ。それを聞くのがイヤなのだ。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。