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ジジイとスイーツ。

オッサンでもスイーツ好きはいるもので、そこを侮ってもらっては困る。スイーツは若い女子だけのモノではないのだ。

というより、フランス、ベルギー、イタリアで、デセールやドルチェを摂取しまくった「はちきれボディ」のオッサンの方が、舌と下腹が肥えてるに決まってるだろう。

そこでGODIVAである。なんというか、色々な角度から切なさが漂う事案である。まず、新聞広告で消費や消費文化が変化するほど、今の世の中はスイートじゃない。「バレンタインに向けて何か企画を」と言って新聞に企業広告を出す費用対効果(バズったとか、そういう下品な部分は抜きで)はあまり期待できないだろう。

カカオ・マス広告についての話は時代とズレすぎちゃってて興味がないからそのへんにして、日本におけるGODIVAブランドがどう受け取られているかはよくわかった。わかってしまったと言ってもいい。

地方では「舶来のリッチなチョコ」であり、都市部の情報探しんぼの間では「消費されつくし、コンビニでも売ってるoutdatedな庶民ブランド」になってしまった。

これは水面下ではわかりきったことであっても、わざわざ掘り起こしてしまったことにはかなりのマイナスがある。結局のところ、情報と体験が格差としてギンギンに現れた。お母さんが「東京から帰ってきた娘がチョコ買ってきたから」と言いながら食べるときは「あら、GODIVAじゃない。オシャレね」でいいんである。

バレンタインが「チョコを受け渡す差別化の儀」としてここまで成熟してしまった現在、情報探しんぼたちがGODIVAを買うことは決してない。実家の近所への手土産とは違うのである。だから「義理チョコ」としてならGODIVAもあり、という、広告アプローチとは正反対のネジレを表面化させたわけです。

自慢ではあるが、俺もけっこうチョコをもらう。バレンタインに限らず、写真展などのときにも、かなりもらうのだ。で「見たことないけど、どこのブランド?」と聞くほどレアなモノをみんな選んでくる。「まだ先月日本に上陸したばかりのブランドだから」なんて言われるね。片手に乗る小さな箱に数粒入ったのが8000円とか一万円とか聞くと驚くけど。

彼らはスタイリストやモデル、編集者など、常にそこらへんの情報が更新されている人々だから仕方がない。そこでGODIVAはないんである。これは「私はあなたに提供できる最新情報を持っている」というアピールでもある。

かくして俺はその情報を下腹まわりに蓄積することになる。命がけですよ。

しかし、大事なことを忘れちゃいけない。GODIVAのチョコレートとしての品質は昔と何ら変わっていないのだ。受け取る人の気持ちだけがうつろっている。チョコレートに罪はない。

日本の情報消費というのはティラミスやナタデココや、知らなかったモノを見つけると大騒ぎして消費する。行き渡ると「あれはもう古いでしょ」と言いたがる。変わらないのである。だから「では今年は何がイケてるのか」にも興味がない。

イタリア語ができた時から存在する、大切な人をさす「アモーレ」という言葉が流行語になる国である。それまで自分が知らなかっただけで、むしろ無知を恥じるべきなのにね。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。