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アンチ・アンチエイジング。

ことあるごとに、「女性は40代を過ぎないと魅力が出ない」と主張してきた。ある調査で、女性が魅力を感じる男性の年齢が自分の年齢とともにスライドしていくのに対して、男性は何歳になってもずっと10代や20代を好む、という結果が出ていた。幼稚すぎる。

それを「熟女好き」などとベタな言葉で言って欲しくはない。中学生の時に同じクラスの女子が好きになることが自然なら、同年代は50代なのでこれも同じことだろう。俺が20代の女性に興味を持つとしたら、ロリコンだ。

まあそういう意味も含めながら、日本のロリコン文化が嫌いな俺としては、言ってるだけじゃなくて、それをカタチにして見せないといけないよなと思っている。40代くらいの特有の美を撮る準備をしている。

「精神というプログラムがモニタに映ったモノが外見である」と、ロバート・ツルッパゲは言っている。その人が40年生きてきた体験と時間が外見に映し出されているんだから、その姿を「みっともないモノ」と否定することは人生を否定することになる。若いですね、というのは何の褒め言葉でもない。勉強して真っ黒になったノートをこそ褒めるべきで、何も書いていない新品のノートは綺麗ですね、と言うのはただただ思慮が浅いのだ。

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つまり、アンチ・アンチエイジング。

ファッションでいう「エシカル」なども、ただ表面的な美しさだけを言っていた我々はバカっぽかったんじゃないか、という反省の上に成り立っている。傷やシミやシワ、カラダのたるみなどを隠そうとすることがいかにくだらないかを提示しているファッション・ブランドが増えてきたし、痩せすぎモデルの体重制限もそうだ。

「金継ぎ」がブームと言えるほどになっている。傷一つ無い新品とは違う価値として、割れた器を直したモノにも別の味わいがあると気づいたのだ。

写真においては、カラダのラインを修正したり、シワを消したりする処理をしたことの明記を義務づけた国もある。イデアとしての女性の美なんてどこにもない。極端に言ってしまえば、帝王切開の痕があろうと、それは子どもを産んだというその人の立派な物語の証拠だ。傷が女性としての美を損なうとはまったく思わない。

そう考えて、「ありのままの時間が経った肉体」を撮ろうと思い、いろんな資料を見ているんだけど、成熟した女性の映像が一番充実しているのがアダルトサイトだったりして、つねにエロ業界の「多様性」には負けているなあと感じ、でもそれとは違う世界を構築しなくちゃと思いながら、おはようございます。



多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。