見出し画像

サファリパーク。

今日はある仕事のミーティングのため、金沢に行ってきた。

訪れる場所は、回を重ねるごとに近く感じるようになる。おそるおそる行く道は遠く感じ、同じ道を戻る帰り道は時間が短く感じる、あの原理だ。

未知のモノは情報処理に時間がかかる。目の前に現れるすべての要素に反応するからで、すでに体験したことに対しては無視できるから、意識の労力を省ける。

金沢に行く二時間半という距離がどんどん短くなっていく。すでに何度も訪れた場所があるし、知った顔も増えてきた。これと同じ感覚が持てる土地がいくつかある。Parisや台北や山形などだ。

いつも同じ人と会い、同じ店で食事をし、カフェの椅子で変わらない風景を眺めながら、行くごとに知り合いが増えていく。

人が住む街は「サファリパーク」じゃないから、自分が傷つかない金網の中からカメラを向けたくはない。クルマを降りなくてはならない。

観光という言葉が持つサファリパーク感が苦手だ。俺は横浜に生まれ、青山と銀座と渋谷で仕事をして、お台場に住んでいる。すべて、外国や日本の地方から観光客が集まる場所だ。だからサファリパークの金網越しに好奇心とともに眺める人々の無神経な視線についてはよく知っている。

俺たちの仕事で言えば、「この街を活性化するために尽力します」と演説をしていた外部の人が、いつの間にか興味を失ってその場を立ち去る姿を何度も目にしてきた。自分と関わりのない世界に首を突っ込み、飽きれば辞めてしまう態度は無責任であり、そこに暮らす人に対して無礼としか言い様がない。

広告では、たとえばトヨタのあとに日産やホンダと仕事をすることはごく普通にある。その「傭兵部隊」としての信条の無さに慣れてしまうと、人にも同じことをするようになる。麻痺だ。故郷は企業とは違う。

俺は一生関わりを持たざるを得ない、と思える相手としか仕事をしないようにしている。器用ではないからというのもあるし、以前「これがいいですよ」と他人に薦めていたのに、すぐに別の競合企業の製品を売り込むような態度が取れないからだ。嘘つきだと思われて信頼をなくす。

そういうルールのせいでまったく儲かっていないんだけど、それで何も困っていない。人が一生のうちに関われる場所や人などは、そんなに多いはずがないのだ。

定期購読マガジン「Anizine」
https://note.mu/aniwatanabe/m/m27b0f7a7a5cd
定期購読マガジン「写真の部屋」
https://note.mu/aniwatanabe/m/mafe39aeac0ea
定期購読マガジン「博士の普通の愛情」
https://note.mu/aniwatanabe/m/m01e843b3acf9




多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。