見出し画像

楽しく、の意味。

先日、堀潤さんと「面白いというのは、笑うこととは違うよね」という話をした。面白さはFunnyだけじゃない。これはまあわかりやすい。

似ているけどちょっと違う出来事もこの前、あった。

最初に明確に言っておくけど、その催しについては何も否定するつもりがない。俺の中に、あまり自覚していなかった「境界線」があるんだなと気づいただけの話。

知人から、あるイベントに出てくれないかというオファーがあった。概要を聞く限りでは面白そうだった。ここでいう「面白さ」はもちろん最初に書いた通り、Funnyではない。有意義だということ。

しばらくしてそのイベントの過去の映像が送られてきた。それを見たときに、俺はこれには参加できない、と感じた。内容を特定しないように書いているから歯にニラが挟まったような言い方で申し訳ないんだけど。

俺は仕事を面白く楽しくやろうと心がけている。大声で怒鳴ったりする現場は嫌いだ。上下関係なくくだらない冗談を言ったり、食事もちゃんと時間を取って、いいモノを食べたい。それが俺の考える面白く楽しく、だ。

仕事の内容については議論になることもあるし、真剣に意見を言い合うのは当然だ。でも、その時の映像からは「面白さと真剣さ」が逆転したような空気が伝わってきた。何度も言うけど、それは個々のスタイルだから否定はしない。

引っかかったのは、それが「教育的プログラム」を標榜していること。プロフェッショナルの仕事の現場を見せるという目的がある限り、誤解は許されない。その様子は、俺が考えるプロフェッショナルの現場には見えなかった。

俺は撮影をするとき一切音楽をかけないし、俺以外の人がモデルに話しかけるのも遠慮してもらっている。クライアントやスタッフが何を感じようと、俺を通してしかモデルに伝えたくない。

モデルは俺の指示に神経を集中しているから、そこに横から「今のはいいね」「もっと笑ったのも欲しいんだけど」などと言われたくない。それがモデルの耳に入ると混乱するのだ。

その映像の中では撮影を実況中継していた。これは言わなくてもいいことだけど、お酒を飲んでやっているようにも見えた。それを現実のプロの現場だと思われることに荷担したくないというのが断った理由。

広告業界、写真業界で、「僕はテキトーですから」「あいつらバカですから」というような偽悪的な表現を聞くのが嫌いなのは、クライアントが自社の命運を賭け、数千万の制作費をかける相手がバカであっては困るだろうと思うからだ。それが業界のスタンダードだと思われてはこちらも困る。

楽しく、面白く、の意味は人それぞれだけど、職業的な能力は、大勢で騒いでいるお祭り騒ぎからは決して生まれないと思っている。

写真で言えば、たった一人で暗闇の中、フィルムを現像し、赤いライトの下でプリントをする作業を通してしかわからない孤独がある。デジタルになってすべてを白日のもとで作業するようになっても、あの孤独と厳しさは変わらないと思っている。SNSでいいね!と言い合うのとはわけが違う。

モデルと二人で黙ってシャッターを切る空間。

そこには酒も音楽も観客も、お揃いのコスチュームも必要ないと思っている。

定期購読マガジン「Anizine」https://note.mu/aniwatanabe/m/m27b0f7a7a5cd
定期購読マガジン「写真の部屋」
https://note.mu/aniwatanabe/m/mafe39aeac0ea


多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。