理由がわからない天気のいい日。

写真を撮っている人にはわかると思うんだけど「なぜそれを撮るか」はどうでもいいという感覚は、理解されにくい。

撮る理由がわかっている写真とそうでない写真は別物で、そこが面白いと思っている。特に仕事では目的や理由がある写真を撮るのが当たり前なんだけど、その理由の話ってすごく簡単に話されやすい。ここが水平になっている方がいいとか、この部分の反射は消した方がいいとか。それは写真の本質的な部分とはあまり関係がない。

なぜ撮るのかという「自分だけの(ここすごく大事)理由」をずっと考えているから、他人が何をどう思って撮ろうと関係ない。その人はその人の理由と戦っているんだろうなあとわかるから。

一番わかりやすい例で言うと「天気がいいからカメラを持って散歩に行こう」という気持ち。これが理解できればもっと面倒なこともわかると思う。天気がいいから、という理由でモノが作れる素敵さ。もちろん「いい雨の日」だっていい。

毎日見ている明治通りの木を歩きながらいつも撮る。記録でもなければ作品でもない。でも絶対にカメラを向けてしまう。その衝動や理由が理解できるとしたらもう撮らなくなると思う。自分がわからないことをしている、という感覚がとても豊かな気がするから。

カメラをどこかに向けてシャッターを押している瞬間は何にも替えがたい幸福で、できた写真がどうとか、写真の歴史がどうとか、まったく思わない。カメラと俺だけの世界。それが「天気がいいから外で自分の仕事をする」っていう気分なんです。

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変な趣味してるね!
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コメント1件

「わかる人にはわかる。」で十分です。
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