見出し画像

おっさんは気持ち悪い。

おっさんというのは、そもそも「醜い存在」だと意識して行動しないといけない。ジェンダー論でもジェネレーション論でもない。おっさんはそれらから独立して、単に気持ち悪い存在なのだとわかって欲しい。

先日、ソーシャルメディアで、ある若い女性のファッションについての投稿を見た。薄手の柔らかい生地でカラダにぴったりしたラインの、美しい服だった。

「素敵な服ですね。似合っています」「私も欲しくなりました」などの女性のコメントに混ざって、「もうちょっと露出度が高かったらいいのに」などというおっさんのコメントが。まあ、どうしようもない無神経さでこういうことを書く人は一定数いるんだけど、いつもと違うのはここから。

他の女性の友人が、「おじさんは、気持ち悪いのでそういうことを書き込まないでください」と、コメント欄にピシャリと書いたのだ。でも、そういうおっさんはネット・リテラシーがないからたぶん返信なんてちゃんと読まない。セクシーな女性が出現すると、反射的に飲み屋のお姉さんに言うようなことを書いていくだけだ。

そういう場面に遭遇すると、おっさんという組織の構成員である俺はひたすらガッカリする。この日々の蓄積こそがおっさんの地位を「気持ち悪い人種」として築き上げてきたのだ。おっさんは「これはセクハラになる?」と真顔で聞く。相手が何を言われたらイヤなのかを理解できないことがセクハラだということに気づいていない。

おっさんの傍若無人ぶりは、ソーシャルメディアでさらに加速したように思う。もちろん昔からいたのだが、今は履歴書がぶらさがっている。もう、地元の飲み屋の店内で「困った人ね」と言われるレベルでは収まらないのだ。

その人の投稿の履歴や友だち関係や写真を見れば、行動は一目瞭然だ。先日も知らない人からFacebookに友だち申請が来た。どんな人かと思ったら、気持ち悪いおっさんの典型的な人だった。派手なお姉さんの写真ばかりがズラッと並んだ友だちコレクション、口汚く政治や芸能界を罵る投稿、日焼けした短パンのおっさんたちとの記念写真。

画像1

俺は、自分のコメント欄には「友人」しかコメントできないようにしている。誰彼構わず書かれたら困るから。そして、過去にほんの数人ではあるけど友人を解除した人がいる。特定の国や人に対して根拠のない差別を書き込んだからだ。意見の相違という問題以前のことで、自分のコメント欄にそういう人がいることを容認したら、それは議長である自分の責任だと思う。

そもそも、そういうおっさんにはほとんどバリエーションがなく、タイプが決まっているから見分けやすい。女性に対して下品な口をきき、アジアの国や人を差別し、若者を虐げ、自分より立場が上のおっさんをひがむ。サービス業の人に横柄で、昔話ばかりをし、偉い人と並んで写真を撮りたがる。

それらは発生する根が同じだから、バリエーションがなくなるのだろう。サービス業の人に丁寧な態度をとる人は、おそらく女性に無神経で下品なことは言わないだろう。

若いときは、見た目のかっこよさなど男としての魅力は別の部分にもある。でもおっさんになったらそれらは全部消えてなくなるんだから、マイナススタートだと思って、謙虚に振る舞わなくちゃいけない。

俺も頑張るから、頼むぞ、おっさんたち。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。