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加点と減点。

週の始まりだからノリだけで適当なことを書くけど、有料で読んでくれている人に向けているんだから、それくらいのサービスをするのは当然だと思う。

加点と減点についてよく考える。これって生きていく上で「ポジティブさとネガティブさ」に置き換えることができるんじゃないかと。

加点仕事と減点仕事は「狩猟と農耕」に似ているけど、日本人は農耕タイプが多勢だから、誰かが何かをしでかすと袋だたきにする。その精神的な根拠はやはり「成功するためのリスクをとるより、失敗しない現状維持を選ぶ減点主義」なんだと思う。

ある新しいことに挑戦して失敗した人に、失敗の検証ではなく「そもそも挑戦なんかするからだよ」と言ってしまう。これではイノベイティブな人なんか育ちようがない。大人の顔色をうかがって、気に入ることだけをしてみせる小狡い子供ばかりが量産される。

失敗した人が、挑戦したガッツ部分を検証・評価されれば次もまた挑戦する気が起きるだろう。死ななければ何度失敗しようが構わないのだ。

農耕という仕事は丹精込めて作物を育てても、天災ですべてがパーになってしまうことがある。誰も呪うことのできないやるせない環境に我慢する習性が農耕民族の粘りに繋がっているという話も聞いたことがある。

それに引き替え、動物という得体の知れない相手と戦って肉を手に入れる狩猟は、試合の勝ち負けを具体的にフィードバックしやすい。「あのときにお前が後ろからマンモスを追い込めばよかったんだよ、次は気をつけろよ」と空腹だけど酒飲んで寝ちゃうのである。

狩猟民族は議論をする。議論に次ぐ議論。また議論。これが「マタギ」の語源であることは誰でも知っているだろう。

作物が枯れたり食べられたりしないように見張り、現状維持をするのが減点主義の農耕民族で、動物がいる場所を探して移動し、戦いに勝って肉を得る。得られなければ空腹だけどまあしょうがない。それが狩猟民族。

このメンタリティの差は原始人から現代人になっても色濃く残っていて、それはやはりDNAと言わざるを得ないんだろうな。

野茂英雄さんがメジャーに挑戦したときは今とまったく環境が違った。「日本で活躍して高い年俸をもらっていたのに何の成功の保証もないメジャーに行くのは無謀だ」と、農耕民族のDNAは彼に集中砲火を浴びせた。

「今のままでいれば十分食べていけるのに確証のないことをするとは何事だ」と反対するのは、現状維持の優位性を否定されると自分たちのコミュニティの規範が危うくなるからだ。

ある会社員にしみじみ言われたことがある。

「あんたたちの仕事は自己アピールしてナンボだろ。俺たちは組織に対して自己アピールをいたしませんと忠誠を誓う仕事なんだよ」と。そうか。サラリーマンとは農民だったんだな。

いつもこんなことを書いている定期購読マガジン「Anizine」
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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。