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掛布さんに恋をした。前編free

あるサイトに登録し、僕は時々アルバイトをしている。「希望する業種」の欄はチェックせずに空けておいたので、様々な仕事が来る。

今日は初めて着ぐるみのバイトをすることになった。店長らしき人から「今日は寒いからいいよ。夏なんかは暑すぎて倒れる人がいるから」と言われた。キャラクターの間抜けな顔の奥に、そんな危険があったとは。

一時間のうちの15分、店頭でビラを配る。それを8時間繰り返し、日給は8500円。二日間で17000円。ラクな仕事だと思っていた僕がバカだった。

控え室で衣裳に着替え、時計を確認してから頭部をかぶる。昔はこの頭がとても重いので首がつらかったそうだが、今は改良が重ねられて軽量化が図られている。着替え終わって頭を動かしてみて、これならなんとかなりそうだと感じた。

店頭に立って数分すると、ピンクのうさぎを見つけた小学生数人が近づいてきた。声を出してはいけないことになっているのでオーバーアクションで挨拶をする。最初は握手などをしていたのだが、小学生のバカ男子というのはこれだけじゃ収まらない。だんだん図々しくなってきて「カンチョー!」だの「パンチ!」だのと攻撃を始める。

カンチョーやパンチ、キックがどこから来るか見えず、無防備な腹筋にまともにキックを受けたりした。それにはちょっと頭に来たので、よろけたふりをしてひとりの男の子の足を思い切り踏んでやった。

「足踏んでんじゃねーよ、てめー」と、さらに強い蹴りをもらった。こいつ空手かなんか習ってる、とハッキリわかるほどシャープな蹴りだった。

カラダを覆っている布は軽量化のために薄くできており、衝撃をまともに伝える。最初の15分はロープ際に追い詰められたボクサーのように縮こまって、ただただゴングが鳴るのを待っていた。1ラウンド15分は長すぎる。

店の中から出てきて、「お疲れ様でした」と言いながら手を引いてくれる人がいた。若い女性の声だ。狭い視界の中、控え室に戻ってイスに座る。「これは思ったよりヤバいな」と声に出すと、ピンク色の球体の中で声がグルグル回った。

女性店員が「小学生の男の子って、なんでああなんでしょうね」と言う。手にはコーヒーを持っているようだ。それをぎこちなく受け取りながら「僕も子供の頃はあんな感じでした」と答える。

彼女が「頭を取って休憩した方がよくないですか」と言う。「あ、そうだ」と言って頭を外すと、そこには美しい笑顔の女性がいた。つらいバイトかもしれないが、俺はこの二日間、我慢できる。そう思った。

15分ずつの経験数回で、子供たちに蹴られてもうまくかわすテクニックを身につけた。どんな仕事にも技術というものはあるものだ。やや余裕が出てきた。

昼食の時間になり、奥の控え室に行くとテーブルに弁当があった。さっきの女性がやってきて、「何か問題はありますか」と聞いた。「何も問題ないです。慣れてきました」と張り切って答えた。「私もここでお弁当を食べていいですか」と言われ、はい、と返事をした。

彼女は自分で作ったと思われるお弁当を持ってきていた。テーブルが小さく、ふたりの距離が近い。僕は、こんな子が彼女になってくれたらいいなあと思った。ピンクのうさぎの衣裳のままで。

「あれ、店長またあのお店のお弁当を買ってきたんだ」と彼女が困った顔で言うので理由を聞くと、そのお弁当屋さんはあまり美味しくないのでアルバイトから評判が悪いのだという。「僕は好き嫌いもないし、普段から美味しい料理も食べていないので、これで全然平気ですよ」と言ったが、彼女は「じゃあ、交換しましょう」と、ふたりのお弁当を入れ替えた。

「私が作ったお弁当が美味しいって意味じゃないんですよ。どうせなら美味しくない方を私が食べたいので」「いや、悪いからいいです」そんなやりとりをしたが、結局、僕は彼女の手作りのお弁当を食べることになった。

綺麗なペイズリー柄のバンダナをほどくと、フルーツの小さい容器があり、それをどけると美味しそうなお弁当があらわれた。女の子のお弁当だ。

「美味しそうだ」「普通ですよ。普通で恥ずかしいけど」

僕は彼女の制服についた名札を初めて見た。「掛布」と書かれていた。「掛布さんって言うんですか。僕は中井です。よろしくお願いします」「そう言えば自己紹介してませんでしたね」「掛布って名前の人に初めて会いましたよ。まさか親戚とかじゃないですよね」「よく言われるんですけど、関係ないです」「スミマセン」「いえ、掛布って名前を聞いたら誰でも同じことを考えますよね。慣れてますから」

お弁当は本当に美味しかった。彼女は自分が食べた方のお弁当を「まあ美味しいとは思わないけど、文句を言うほどマズくはないかな」と笑った。

僕は子供に蹴られながら、一日の仕事を終えた。

着替えて帰ろうとすると、掛布さんがやって来た。「明日はふたり分、お弁当を作ってくるから、また食べてね」

家に帰った僕は布団に抱きつきながら、掛布さん、と、のたうち回った。恋をしたようだ。しかし、心の中で彼女を「掛布さん」と呼ぶと、どうしてもミスタータイガースの笑顔が頭に浮かんでしまう。これはいかんともしがたかった。

続く(後編は後日、定期購読マガジン「博士の普通の愛情」にて)
https://note.mu/aniwatanabe/m/m01e843b3acf9


多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。