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トースターと知恩院

「新しいものは必然で、古いものには偶然が宿っている」

という私の言葉がありますけど、やはり面白いのは偶然なのです。新品を買うとその美しさに感激しますが、それは長続きしません。数年経つと黄ばんできたり、壊れたり、欠けたりします。意図的なものではなく、不可抗力というかネガティブな結果として表れるのですが、そこが「時間」の魅力であるとも言えます。

こどもの頃、初めて京都の平安神宮に行ったとき「こんなの派手すぎてダサい」と原色のオレンジに塗られた外観を見て感じたのをよく覚えています。その直前に知恩院や三十三間堂などのシックな佇まいを見ていたからでしょう。しかし違うのです。あれらも建立当時には派手な色をしていたはずで、時間が経ったことによって「渋く」なっただけで、別にあの渋さを目指していたわけではないのです。ここがポイントで、家電製品などは古くなったイコール、ボロくなった、と思いがちですが、出荷当時の新品とは三十三間堂へと向かう仮の姿、一間堂くらいなのです。

箪笥にこどもがベッタベタとシールを貼ったり、トースターが焦げたりしているのも全部、知恩院への道です。ここで大事なのが我慢です。中途半端に古いものは古さばかりが目立ちますが、中野ブロードウェイで売られているボロボロの『怪獣ブースカ』などには高値がついています。ブースカは塗装がはげ、こどもが噛みついた跡などもありますが、それは欠点ではありません。知恩院に向かっているのです。骨董的な言葉を使えば、時代がついたのです。景色とも言えましょう。これは違うか。

新しいものが素晴らしいという高度経済成長期の考えは一周回って否定され、レトロとか廃墟とか、時代が作り上げた価値に目が向くようになってきました。そう言うと、またここも微妙なんですが、レトロであることを出発点としてしまうとおかしなことになります。古ければいいというものではないからです。老夫婦などを見ても「私たちもあんな素敵な年の取り方をしたいね」などという人がいるのですが、大間違いです。素敵な老夫婦は、昔は素敵な若夫婦だったはずなのです。年齢を重ねたからと言って急に素敵になったのではありません。今「素敵な若夫婦」じゃない人たちが、ド厚かましいことを言わないでください。

以上です。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。