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17459以下の頂上。

今できることって全然どうでもいいんです。

いつかできるようになればいいだけだから。でも、理想が低いとダメなんです。もう結論は言いましたから、忙しい人はここから先を読まなくて大丈夫です。天丼で言えば海老を食べたことになるので、かぼちゃなどは残してもいいです。

あるヨーロッパの国の入国審査の時、仕事は何かと聞かれたことがあります。Art Directorだと答えると「そうか。じゃあ、うちの国の美しい部分を見て帰ってくれよ」と、格好いいことを言われました。彼がどれくらいアートディレクターという仕事を理解していたかはわかりませんけど、ヨーロッパにおける「Art」という言葉には特別な響きがあります。

ヨーロッパで友だちのクラブイベントのフライヤーを作った程度の人のことをアートディレクターとは認めませんし、極端に言えば文化人扱いです。職能としての視覚分野担当、という役割を指すハリウッド的な文化とは大きく違っています。日本はどちらかというとアメリカ寄りの感覚です。

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昨日は、SNSでは毎日の生活が見えてしまうから、自分の行動に嘘がつけない、という話をしていました。アートでもデザインでも言葉は何でもいいんですが、その日常の理想に「美」が見えていないとダメなんだろうなと感じました。自分が日常で何を美しいと思っているか。それが「できること」ではなくて「目指している場所」です。見えている頂上に向かって歩いて行く。だから元々標高の低い山しか見えていない人は八号目に来ていると錯覚してしまうのです。友だちのイベントフライヤーを作りながら。

俺はまだ裾野市のコンビニの駐車場あたりにいると思っていて、富士山の頂上は遙か彼方に霞んで見えています。ちなみに富士山より高い山(Peak含む)は、世界に17459くらいあるそうです。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。