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友人の定義。

隣のケンちゃんとは遊んじゃダメよ。
 どうして、ママ。
バカがうつるからよ。

 じゃあボク、誰となら遊んでいいの。
お向かいの、賢いタケシくんと遊びなさい。

さて、タケシくんのママは、彼と遊ぶことを許してくれるだろうか。タケシくんのママも同様に、「バカがうつるから」と言うに決まっている。

つまり、自分より賢い人と付き合いたいと思っても、その人は自分よりさらに賢い人と遊びたいのだ。これを「何かを得たい人の矛盾」と言い換えてもいい。自分には何の取り柄もないが、微かに付き合いのある「格上の人」を巧妙に自分のコンテンツにして、得をしようとする。

理想は自分とまったく同じレベルの人と付き合うことなんだけど、それはなかなか難しい。昔、「友人の定義」という話を書いたことがあるけど、損得のない友人の条件とは何か。それは、「相手が、その人のいない席でその人を思い出すこと」だと思っている。

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つまり、金沢で美味しいお寿司を食べているときに、「ああ、ヤマダくんはお寿司が好きだから、彼にも食べさせたいな」と思うようなこと。自分が得られた幸福を分かち合いたい相手が、友人だ。

あるドラマで、窮地に追い込まれた若者が助けを求める、というシーンがあった。友人だと思っていたはずの人から次々に無視され、そのたびに「この人は友人ではない」と、携帯電話に入っているメモリが消されていく。

友人とは「尊敬」の産物だと思う。だからそれは相手との関係で生まれるモノじゃなくて、一人で孤独にやっていることを互いに認め合うこと。いつも一緒に遊んでいる人とでも、環境が変わるとあっさり会わなくなることがある。それは友人ではない。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。