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幸福のお釣り。FREE

まず「仕事」と「自由」というふたつの言葉を考えてみましょうか。

会社員、フリーランス、会社経営。身近にいるのはだいたいこの3種類でしょうか。俺もそこに含まれていますが、フリーランスという響きは自由を表しているようで、そうではありません。組織から自由というだけです。

上下関係のある組織にいると不条理で不自由なこともあるでしょうから、フリーランスなら自由だろうと勘違いしやすいのだと思います。俺の会社勤めとフリーランスの貧弱な経験からしか書けませんが、何かのヒントになれば。

10年ほど広告プロダクションに勤めて、33歳の時にフリーになりました。辞めた理由は何かというと、会社から「自由になりたい」ではなく、会社の「居心地がよすぎた」からです。このまま会社にいると待遇がよすぎてずっと辞められなくなると思ったからです。まあ辞めなくてもいいんですけど、昔とは違うので終身雇用なんて保証はありません。無能なクソジジイになった頃にいきなりリストラされても困るなあとボンヤリ思ったわけです。

幸いなことにフリーになってから今まで20年くらい、食べることに困らず生きてこられた幸運に感謝しています。フリーのクソジジイも悪くないです。

フリーになってしばらくしてわかったのは、会社にいた方がいい人と、フリーになった方がいい人、経営に向いている人、それぞれがいるんだなあということ。そこを間違えてしまうと恐ろしい地獄が待っています。

ある大手広告代理店での打ち合わせ中。そこにいたデザイナーがフリーになるそうで、会議室に来ていた印刷会社の営業に声を掛けました。「ボク、来月会社辞めるんですよ。で、ハガキとか名刺とか頼みたいんだけど」「そうですか。いいですよ」「タダでやってくれるかな」「会社を辞められるんですよね。私はこちらの会社とお仕事をさせてもらっているだけなので、個人的には無理です」という、北極レベルに冷や汗もののやり取りを見てしまいました。

多分、そのデザイナーは会社の威を借りて、ずっと印刷会社の営業に無理難題を押しつけていたんでしょう。「会社を辞めたあなたにはお付き合いする価値がないですよ」と、最後に手痛いしっぺがえしを食らったのです。会社員には勤めている会社のチカラで実現できていることと、自分個人の能力とをはき違える人がいますが、この手の人は一生会社を辞めない方がいいと思います。

会社の仕事でどんなに有名なタレントやアーティストをキャスティングし、一緒に仕事をしようが、彼らは莫大な出演料をもらっているからそこに来ているわけです。もしくは大きな媒体に出演して宣伝する目的かもしれません。出演料もメディアも大会社の肩書きも持たないあなたが個人で呼んでも決して来てくれません。

嫌いな仕事をフリーでやることはないですよね。カメラマン、デザイナー、ライターなど、自分がやりたい仕事を選んでいるはずです。それが「自由に」できていることを幸福と考えれば、フリーは幸福です。そしてそれで家族を養っていけるか。これはまた別でもあり同じ問題でもあるんですが、さっきの話とも繋がります。他人が社員としてではなく、そのフリーランスの能力にお金を払ってくれる、その価値を持っていれば生きていけます。

それがない、もしくは自信がないならフリーになってはいけないということなんでしょうね。俺は広告代理店での一件がずっと忘れられずにいました。あのシーンを思い出すと、自分は会社を辞める前にあれを見ておいてよかったなあ、と思うのです。

経営者についてはわかりません。やったことがないし、確実に自分には向いていないと自分自身で「不適格」のデカいハンコを押したからです。紙一面に。ただいくつものクライアントを見てきた経験はあるので、その会社がどうなるかについてはおおよそのことがわかります。たとえ多くの企業とつきあっても、他の仕事では多分わからないと思います。広告の仕事をすると、まだ世に出ていない製品や、経営の方針や、トップから末端までの社内での核心に近い部分を見られるのでわかりやすいのです。

つきあいのあった会社がダイナミックに大きくなったり、潰れてなくなったりするのを眺めていると、自分にはこんな恐ろしいことはできないな、と感じると同時に、あそこがよかったから、ダメだったからだ、という答え合わせの情報を蓄積しています。

まとめると、人が一人でできることはたかがしれていて、他者に対する影響力の円を大きくすることが経済的な成功なんですが、ある程度の成功のビジョンを描くことだけはしなくてはいけないと考えています。会社員でもフリーでも経営者でもそこは同じ。フェラーリが欲しいとか、会社を上場するのがビジョンとかでもいいんですが、そのマテリアルなビジョンはいつか到達して、終わります。

それが「欲」なんですが、社会的に成功している人と会うと感じるのは私欲がないということです。自分に入ってくる報酬というのは誰かがそれで幸福になったついでの「お釣り」みたいなモノで、ガツガツとお金の話ばかりしている人に人は手を貸してくれません。他人に与える幸福のスケールが大きくなるほど、自分への還付金が比例して大きくなる。それが「収入の多い人」なのかなと、俺は思っています。

少しは参考になったでしょうか。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。