いじるとバカにするの境界線

同じ空間で一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、人間関係はより濃いものとなり、ある一定の人とは仲良くなっていく。
それは、同期や同級生のみならず、先輩や後輩、はたまた2世代上の人など。
200時間の法則で一定時間一緒に過ごせば、お互いある程度の関係が築かれる。(ref最高の体調の整え方)

時に、人間関係が構築され仲良くなると、距離がかなり近くなり、お互いをいじったり、いじられたりする関係になる。
この関係になった時に、重要なのが「いかに相手をリスペクトしているか」だと思う。
そして、この相手へのリスペクトが欠けた瞬間に、それはいじりではなく、バカにしているとなる。

例えば、絵がめちゃくちゃ上手い人がいるとする。
そして、その人のデスクが汚い。
こんな時は、なんていじるだろうか?

「お前の机ピカソすぎるて」

多分こんな感じで、リスペクト要素入れつつ、いじる?(笑)
ちょっとあまり上手い例えじゃないかもしれないが、とりあえず、伝えたいこととしては、いじる側として相手のこういうところはリスペクトしていているよ。があることだ。

このリスペクトは、本当の意味で相手を崇拝に近い意味のリスペクトではなく、もっとラフな相手を一人の人としてリスペクトを持って話す意味合いが強い。


さて、このようなことをアウトプットしようと思ったきっかけなのだが、先日後輩に言われたことばに久々にむかついたからだ。

研究室の片付けないといけないものがあって、それをいつやるか聞いた場面。
「いつ片付ける?」
「もう片付けましたよ」
「もう片付けてくれたん?」
「うん。片付けました。」
「まじか!ナイスすぎる」
「まー感謝してくれてもいいよ」
「(うざ)嫌だ、感謝せんわ」

その後輩とは、研究室で一緒に過ごす時間も長く、年齢も一緒ということもあって、日々距離が近くなっている。
イメージ的には、自分から近づいているのではなく、向こうから近づいてきている感じ?具体的にはたまに敬語がなかったりとか(これは、年齢が一緒やから敬語じゃなく喋ってしまいそうと言われ、まあ敬語はなくてもいいよと自分が言っていたから。)

で、これが逆効果だったのか、敬語じゃない率が日に日に増してきて、最近だと馴れ馴れしさというか、こいつ本当に俺のことリスペクトしてんの?
バカにしている?と感じることが、発生している。
その最たるものが、先ほどの会話だ。

じゃあなんで、この感情が生まれるのか、今度どうしたらいいのかが今回のトピックなわけだが、結論、先輩後輩の関係の時は、「必ず敬語を使う、使わせる。」
これに限ると思う。

先ほどの会話の中で、最後の一言が、「感謝してくれてもいいっすよ」
だったら僕は、おそらくむかついていない。
そう考えると日本語の敬語って、本当に敬う言語なんだなーとこの自信の感情の違いを確認して、素晴らしさを知った。(笑)

もし、最初の出会い方が、先輩後輩とかではなく、留学先で、たまたまあった友達!とかなら、友達という人間関係からスタートするため、最初から敬語じゃなければ、全然気にならない。

ただ、今回の場合はスタートが先輩後輩という人間関係からスタートしているため、自分の認知としても敬語をつかうことが当たり前となっている。
まあ、これはゴリゴリ日本文化で育ってきたからしょうがないというか当然の感情だと思う。


一旦ここまのでのことを整理する。

一定の時間を過ごすとお互いに「いじる」「いじられる」の関係が構築される。
「いじる」「いじられる」の関係が構築された時には、相手に対してリスペクトを伴うことが必ず必要である。
そうでないと、いじるではなく、バカにするに変わるから。

リスペクトの形は、最初の人間関係に依存する。
友人からスタートしているなら、いじる側にリスペクトの気持ちがあれば、普段の言動に現れるため、問題ない(よっぽど不器用でなければ)
一方上下関係がある場合は、敬語を使ったいじりでないとリスペクトしていると受け取りにく、受け手側が「バカにしている」と感じてしまう。
そのため、敬語を使う方が良い。


なんとなくアウトプットしている中で、考えが整理された。
今後先輩後輩と仲良くなる時、仲良くなりすぎる時はこれに気をつけて接して、楽しい時間を過ごしたいと思う!




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