残るのは、属人的要素と責任を取ることだけ

チャットGPTで記者や営業は無くなるか?という話をサウナに入って、友達と話していた。

結論、属人的要素と責任を取ることだけのこる。

営業の資料作成や記事の作成など、完全にchatGPTに置き換わるであろう。
すると、どんな仕事もAIに代替され、残されるのは、ほとんど属人的要素と責任を取ることであると思う。

責任を取ること
責任を取る作業だけ残るのは、今のところAI自体に決定権は与えられておらず、最終的なgoサインは人が出し、責任を取るのはgoサインを出した人である。
もし、このgoサインを出す部分もAIが代わりに担った時には、一体誰が責任を取るのか?
その時はおそらく、その会社や組織、団体のトップが責任を取ることになるだろう。
そうすると、法律が改正され、AIの人権的なものが認められない限り、AIが作った会社は存在せず、(作れても人が代表取締役)人間が責任をとるはずだ。

だから今後、人間に残るのは責任を取ることである。

属人的な仕事
これは、最終的に責任を取るのが人であるなら、goサインを出すのはAIの提案ではなく、人から受ける提案など情緒的な部分が残ると思う。
例えば、「今でもOOさんがそういうなら購入するよ。」という人はいると思う。仕事でなくても、自分のリスペクトする人や推しがオススメする商品は誰しも購入した経験があるだろう。
こういった、属人的な部分が強い人。つまり、特定の情報や考え方に対する信用度が高い人は、生き残る。

しかし、そういった人でも蓋を開けてみるとAIだった。というパターンもあるかもしれない。例えば、歌手の世界では顔を明かさず、バーチャルなフォルムだけで、メジャーデビューなんかしている人もいる。Adoやずっと真夜中でいいのに、などである。
これと同様に中身は全てAIだけど、情緒的な部分が受け入れられるケースもあるだろう。
そうなってくると逆に、リアルに存在する生身の人間が表に出るようなパターンが受け入れられてくる気がする。
また、人類はどこまで行っても多数決になってくるので、リアルの人間がいいという人口が多いと世論はそっちによるだろう。(と思ったが、AIでchatbotを大量に生成して、世論を操作したりもできちゃったりする?もしかして(笑))

そうすると、今のポピュリズム的な考えで、脱AIといった考えが湧き、陰謀論が、いっぱい湧いてきてきそうだけど、、

話を戻すと、AIで属人的な部分を表現できたとしても、人はリアルを欲していると思う。(テクノロジーの発展で、リアルとバーチャルの区別がつかなくなるぐらいまでなると話は別。)
つまり、リアルな人間で、属人的な部分、情緒的な部分の需要は縮小するが、一定数生き残るだろうと思う.



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