子供の見るYouTube、なぜ親は抵抗があるのか(その4・一旦完結)

子供とのYouTubeとの攻防問題。なぜ親は子供の見るYouTubeに抵抗を感じるのか。我が家の不登校事情も踏まえての経験を参考に記載してきました。書き始めてみると想像以上に長くなりましたので、いったんこの記事で区切りをつけたいと思います。

親が抵抗を感じる点、「内容」「時間」とも、子供と話し合い親としての意見を説明したうえで子供自身にルールを決めさせることが効果的、との結論に至りました。子供の「自治」を認める最初の1歩と位置付けてやってみるのがよいと思います。

ところでここまで敢えて触れなかった注意事項がひとつだけあります。ここまでお読み頂いた皆様もひょっとすると、「とは言っても」と残っている危惧、疑問かもしれません。


それは、YouTube(及びスマホ、ゲームなども同じく)は「依存」の可能性がある、ということです。約束した時間内で好きなものを見ていい、親と話し合って子供が自分で決めたことであれば自分で守るはず、これは確かです。しかし、満足しているのは今のうちだけで、もっと過激なものを見たがるのではないか、もっと長く見たがるのではないか、さらには(特にゲームなどの場合は)お金をかけたがるのではないか、という危惧は感じることでしょう。

結論から言いますと、YouTube(及びスマホ、ゲーム等)は放っておくと依存症になります。これは間違いありません。なぜなら動画もゲームも、すべてなるべく依存させることを目指して内容、仕組みとも考えられているからです。育児書等でのネット・ゲーム対策に関する記載でも多かれ少なかれ同じ趣旨のことが書かれています。

考えてみましょう。動画・ゲーム等のネット上のコンテンツでビジネスとして成立させようとするものはすべて、再生数を稼ぐ、ダウンロード数を増やす、さらには有料コンテンツを購入してもらう(特にサブスクサービスに加入してもらう)ことを目指しています。個人が承認欲求を満たす目的で趣味で行なっているものと企業や政治家等がアピールのために行なっているものを除き、ビジネスとして成り立たせるためにはネット・ゲームの「依存しやすい」という特性を最大限活かしてコンテンツが生み出されます(ネット・ゲームは「依存しやすい」という特性があるからビジネスが成り立つ、とも言えます)。つまり、あの手この手で工夫して「依存させよう」としたコンテンツが日々生み出されているのです。

若干悪意を感じる書き方になりました。「依存」という言葉に「抜け出せなくなる」との病的な意味が含まれていますのでそのまま使えば語弊がありますので、「夢中にさせようとする」と言い換えましょう。「夢中になる」ことを全否定する人はいないでしょう。

つまりネットやゲームの「依存するリスク」を理解したうえで子供を見てあげる必要があるということです。「時間」にしても「内容」にしても、子供と話し合って決めたやり方で、依存に至らないかとの観点で見守る必要があります。「依存するリスク」を見極める、という点が前回の記事までの内容で触れていなかった、そして何よりも重要な注意事項です。


「リスク」という言葉はよく「危険(危ないこと)」と誤解されていますが、正しくは「危機」、つまり「危険(danger)」と「機会(chance)」のセットで「成功のために通らなければならない危険」という意味です。資産運用をされている方はよくご存じかと思います。

つまりネットやゲームは「楽しい」という喜びを得るために、「依存する」という危険の可能性があることを知らなければならない、ということです。「依存する」危険を無くしたいのであれば、「(ネットやゲームを)しない」という選択肢しかありません。それが現実的でないことは明らかです(不可能ではありませんが)。ネットやゲームを楽しみたいのであれば、依存という危険に巻き込まれないようにコントロールする必要がある、ということです。

なおリスクという言葉の意味以上に正しく理解されていないことが、「リスクゼロ」と「リスク最小化」が混同されているということです。これは全く似て非なる言葉です。ネットやゲームの例えで言えば、「リスクゼロ」とは「ネットやゲームをしないこと」、「リスク最小化」とは「ネットやゲームで悪影響が出ないようにコントロールして遊ぶこと」、になります。

例えば「ゲームは〇時間まで」というルールは、「長時間しないため」ではなく「惰性でゲームをする癖がついてしまわないため」「疲れて他のことに影響が出ないため」と親子で話し合えば納得感もあるでしょう。現実的に動画やゲームをあまり長時間やりすぎても、疲れてくるし虚しくもなってくることは大人でも経験があるでしょう。蛇足ながらこのように考えると「ゲーム時間制限条例」を巡る議論でいかに的外れな意見で空回りしているかも感じます。


親には子供を「依存症」にさせない義務があります。子供の健康を守る義務です(「依存症」は病気です)。子供と話し合う際には子供が理解できるなら話してもよいと思います、「だから守ってほしいルールを決めて守ってもらいたいのだよ」と。

ネットやゲームだけが依存のリスクがあるわけではありません。活字よりも漫画、漫画よりもテレビ、テレビよりもネットと、依存しやすさが上がっているだけです。そして、ザッピングのしやすさ、AIで好みの分析された次のコンテンツの自動表示、によって指数関数的に依存のリスクが上がっていることは確かです。

親としてはゲームや動画を楽しむ子供を見守りながら、依存症にならないかとの目で確認する(場合によっては干渉する)必要があります。もし依存の危険があると判断したとき、どうすべきなのかは常に考えておかなければなりません。年齢や状況、ゲームや動画の内容によっても変わってくるでしょう(ひとつだけ言えるのは「取り上げる」のは解決策にはならないであろうこと)。「子供が夢中になっているネットやゲームをただ否定するのではなく、よく知り、一緒に楽しみましょう」というのは、「子供を理解して、親として考えましょう」ということでしょう。


最後に「依存」とはどういう状況をさすのでしょうか。これは学術的な定義は分かれるところと思いますが、いろいろな本を読んで私が最も納得した観点は

・生活に支障が出ているか
・好ましくない状況が出ているか

です。子供のゲームや動画に当てはめると、

・ご飯を食べない、お風呂に入らない、夜になっても寝ないなど
・ゲームや動画を楽しんでいない、惰性で見ている、かえって疲れている

といったところでしょう。なお、不登校は因果関係が証明されない(「ゲームをやりたいから学校に行きたくない」ことが明らかでない)限りは当てはめません(そんなに単純化できる問題ではありませんのでここでは置いておきます)。

要するに、節度を守って楽しんでいるなら、子供の表情が明るいならいいでしょう、ということです。

我が家の話をしますと、夏休み(不登校前)に在宅で仕事をしている時間に実質無制限にYouTubeを見せていたこともありました。もちろんこれはよくないとの葛藤がありましたが、それ以上に今思えば動画を見ている子供の目は暗かったような気がします。あのとき何時間も見ていたときより、今3時間までと決めて見ている今の方が、表情も言動もはるかに明るくなっています。おそらく息子の中では「学校(キッズ)に行かなければならない」という不安を紛らわせるために惰性でYouTubeを見ていたのでしょう。

なお「放っておくと依存する」と、YouTube(やネット・ゲーム)を危険視するような書き方になりましたが、子供は自分が楽しいと思うことしか夢中になりません。楽しんで夢中になっているぶんには「依存」の心配はない、と言ってしまってもいいでしょう。(コンテンツ自体への好き嫌いはあると思いますがそれは「一線」を超えていなければぐっと飲みこんで)子供が楽しんでいるかどうかを見てあげれば、過度に心配する必要はありません。


長くなりましたが、不登校になる前から、不登校になってからは特に、ゲームやYouTubeとの付き合い方について、様々な本を読んだり、ネットで調べたり、あるいは息子に対していろいろ対応を試行錯誤したりと、いろいろ考えて実践してきました。それをもとに、考えを整理してみました。

私は専門家ではありませんので、経験者の一知見にすぎませんが、同じことで悩まれている方に参考になればと思い書いてみました。何かのヒントになれば幸いです。

ここまでお読み頂きましてありがとうございました。もう一度最初からお読み頂ける場合は下記からどうぞ。






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