いまの教育に欠けているもの

息子が学校に行かなくなって以来、不登校関係の書籍や記事を読んだり調べたりしています。すると、不登校問題と合わせて必然的に知ることになる話題に、次のふたつの問題があります。

・学校現場で働く先生方の労働実態の問題
・学校教育の在り方に限界が来ているとの議論

一つ目はいわゆる「給特法」の問題(これまでも聞いたことはありましたが改めて詳しく知りました)に代表される「先生が忙しすぎる」問題。労働時間だけの問題ではなく、そもそも管理者(校長等)が先生に業務を命令する仕組みになっていないことが、民間企業に勤めている身としては考え方や慣習の違いに驚きました。

二つ目については数多い論調として「日本の教育は明治以来の"良質の労働力(と軍事力)を得るため”の教育である」「高度経済成長期を支えた労働者の育成には成果を上げた(企業に入って定年まで労働力を提供する年功序列賃金と終身雇用で労働者はその見返りを保証された)が、もはやこれからの時代には通用しない」というもので、確かにもっともなのですが、「だからどうすればいい」ということが見えず(答えはなく自分で考えるしかないということなのでしょうが)立ち尽くしてしまうしかありません。


前の記事で、子供にとって授業がおもしろくない、また家で学校の授業と同じ内容の勉強をさせようとしても親も子もやりがいや手ごたえを感じられない、ということを書きました。

そもそも「学ぶこと」「新しい知識知ることや経験をすること」が「楽しい」と思えることが重要だという、当たり前のことに改めて気付きました。よく「楽しいことばかりではなく、苦労することも成長するために必要だ」とは言いますが、小学校1・2年生に「楽しいこともあるかもしれない苦しいこと」といって勉強するわけがありません。まずは「楽しいからやってみよう」と実感し、「苦しいこと」にぶつかったときにそれをクリアすれば新しいことを学べるという楽しいことがないと、取り組むわけがありません。

授業参観の算数の授業について書きました。「こんな簡単な内容で子供は興味を示すだろうか」と、学校教育や先生を責めるような書き方になってしまいました。が、親として子供の成長にとってもっとも大事な「教育」を学校に丸投げしてしまっていないだろうか、その一方で「今の学校教育は時代遅れ」「学校に任せられない」というのはあまりにも身勝手ではないだろうか、そしてなによりもそのしわ寄せや被害が及ぶのは先生でも親でもなく子供自身ではないか、と思い至りました。

学校への復帰、つまり小学1、2年生の子供に学校の教室で教科書に沿った授業を受けさせる、ということを目指すのなら、そこに学ぶことの楽しさを見出させるしかないでしょう。必ずしも学びの内容だけでなく、「誰かと一緒に学ぶ」ことに楽しさを見出すということもあるかと思います。そしてその役割は学校の先生ではなく、親にあるのではないでしょうか。


今の教育に欠けているもの、それは子供の教育は親が行なう、というある意味当たり前のことではないでしょうか。但しその当たり前のことを行なうには相当の努力が必要だということの社会の理解も。



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